確かに習慣づくよ、でもね
以前も述べましたが、我が実家には幼少期、勉強と家事のノルマがありました。
母は専業主婦でした。
しかし、「躾」という名の下、掃除・調理は子供のすることでした。場合によっては茶碗も洗っていたかも。
学校から帰ってくると、まず掃除から始まります。
母はオシャレでスタイリッシュなものが好きで、インテリアにもこだわりがあったので、とにかく、綺麗にしなければなりませんでした。(これは団地の頃も一軒家でも同じでした)
ダスキンを取っていて、ダスキンをかけ忘れた箇所があると、母が帰ってくてものすごく怒られました。
ダスキンをかけて、掃除機をかけて、床のダスキンをかけて……
それが終わったら調理です。
調理は、父が料理酒でも飲んでしまうため、砂糖と醤油くらいしかなく、また5人家族でしたが食費は月1万5千円しかなかったため、(買い物も行っていた)調理には創意工夫が必要でした。
同じ味が続くと、嫌味を言われたりするのです。あと、そんな食費なのに、バランスを考えろ、とか。
肉なんて150gくらい買うのが精一杯で、それを5人でわけていたのでお察しです。
そしてそれが終わったら宿題……。
で、このあとも問題なのです。
宿題が終わると、「計算ドリル毎日1ページ」と「漢字の書き取り毎日ノート1ページ」が待っていました。
これ、字が汚いと破かれたり消されたりしてやり直しになるのです。
私はこれが嫌で嫌で、嫌々書いていたので、かなりの確率で書き直しをさせられました。
それが終わったら内職を出してきて、内職。
内職も、母はインテリアにこだわる人だったので、毎回収納の中などに全部片付けて、内職をするときに持ってきて、終わったらまた片付けて。
これに加えてピアノを習っていた頃はピアノのレッスンもありました。
私はどれもこれも嫌すぎて、家庭学習の計算ドリルと漢字の書き取りは「土日はしない」と宣言し、かなり色々お説教を受けましたが、貫きました。
小学校低学年にしてはよく反抗出来たと思います。
毎日こんな感じのノルマがあったので、なかなか友達と遊ぶことも出来ず……。
家に帰らず友達の家に遊びに行ってしまうこともありました。
母はその間何をしていたかって?
ご近所でお喋りお茶タイムをしてました。
もう、母は一生帰ってこなくていいと、何度も小さい頃から思っていました。
私は高校に上がるまで、テストの点で95点以下を取ったことがなく、
「勉強もさせてないし、塾も行かせてないのに勉強が優秀で、自主的に家事をするのよ。うちは勉強より家事なんだけどねー」っていうのが母の自慢で、誰彼構わず言って歩いていました。
「勉強なんていうものは授業中先生の話をきちんと聞いていれば出来る、家出試験勉強をする必要はない」も母の口癖でした。
なので、中学校にあがっても試験勉強はさせてもらえませんでした。
家事をしていました。
それなのに5教科が評価5から落ちたことがないので、それも母は自分のおかげと思っているようです。
ちなみに、食費5人で1万5千円というのは、今でもわざわざ私に電話してきて、うちの食費を細かく聞き「5人で1万5千円だったのだから、お前の家の食費は月1万円にしなさい」と言ってきます。
最近は適当に流すようにしてますが、まぁ、電話かかってくると辛いです。その話題だけで2時間くらい母が一方的に喋ってるし。
まぁ、うちのノルマはこんな感じでした。