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愛のスパイス

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お茶がうますぎてはぁ~

今日はカレーだ。
お茶がうまいやつである。

我が家のカレーはだいたい相方が担当する。
なぜならこだわりがあるからだ。
私が作るカレーは至って普通の、あるもので作る、薄い肉のカレーだったりするのだが、彼にはこだわりがある。
肉は塊肉でなければならない。
ルーにこだわっているわけではない。
ルーは至ってシンプルな、バーモントとこくまろである。
何か調味料を足すわけではない。

が。

彼は自分のカレーに確固たる自信がある。
確かにうまい。
が、カレーに毎回3000円かけていては本末転倒である。

彼のカレーは高い。
昔近所に肉屋があった頃は、頬肉を煮込んでカレーにしたりしていた。
実に、高い。

確かにうまいけれど、別にそんなに高いカレーを作らなくても、という気もする。

ただ、うつ病わたくし、家事を手抜き出来るのは大好きである。
出来ることなら家事は一切したくない。
なので、料理をする回数が減るというのは実に美味しい話でもある。

カレーも旨いし家事をしないのも美味い。
TAKEの部分がうまく噛み合った話である。

カレーというのは本来母の味が出やすいところだろう。
私は母のカレーを知らない。
子供の時からカレーは調理担当の子どもたちが作るものだったからだ。

人が作る飯は、旨い。

人が作る飯には、何かしら特別な調味料が入っている気がしてならない。
それが愛情というものだと気づいたのは実に最近のことだ。

彼のこだわりと自信が詰まったカレーは、まさに「特別な一皿」だ。
3000円のカレーなんてと最初は思ったものの、食べてみればそのこだわりと時間が染み込んでいるのがよく分かる。
柔らかく煮込まれた塊肉がとろけるような食感になり、バーモントとこくまろのルーが絶妙なバランスで混ざり合っている。
決して高級なスパイスや特別なルーを使っているわけじゃないのに、この味の深さは彼の情熱とひと手間のおかげだろう。

家事を休める喜びに加え、こんなにも心のこもった料理を食べられるのは、なんともありがたいことだと感じる。
うつ病でエネルギーが少ないとき、こうして人に頼れるのは、心も少し軽くなる。
実際に食べると、普段よりも美味しく感じるのが不思議だ。それが愛情の力なのかもしれない。

「母の味」を知らない私にとって、このカレーがある意味「家族の味」になりつつあるのだろう。


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ちびひめ
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