H.M.S. Prince of Wales 1941 イギリス海軍戦艦 プリンスオブウェールズ (Tamiya 1/700 waterline kit)
タミヤ 1/700ウォーターラインシリーズNo.122(現行 No. 605)英国海軍戦艦プリンスオブウェールズです。
プリンスオブウェールズ1941年3月に竣工したキングジョージ五世級の二番艦です。第二次大戦中のイギリス国王はジョージ六世ですが、その時のプリンスオブウェールズは誰かという疑問が湧きました。女性は、プリンスオブウェールズとなれないので、次王となったエリザベスはないのです。では、プリンセスオブウェールズと呼んでいたのかというと、この称号はプリンスオブウェールズ妃のことなのでエリザベスはこれにも該当しません(現在ウィリアム皇太子妃のキャサリンがこの称号を保有しています)。
国王ジョージ六世の前は、「王冠を賭けた恋」のエピソードで知られる兄エドワード八世でしたが、在位わずか325日で退位したため、ジョージ六世はプリンスオブウェールズとならないまま急遽即位しました。つまり竣工当時のプリンスオブウェールズの該当者はいないのです。敢えて探せば、退位後ウィンザー公爵を名乗ったエドワード八世の即位前の称号となります。
実は、ジョージ六世は、本来自分の名前が付けられるべき本級一番艦を父王ジョージ五世と命名し、短い在位で戦艦名とならなかった兄王のために二番艦をプリンスオブウェールズと命名し、自分の名前としては、三番艦に自分の即位前の称号であるデュークオブヨークと名付けたのです。(ちなみに四番艦アンソン、五番艦ハウは提督名です)
プリンスオブウェールズは竣工後すぐにビスマルク追撃戦に駆り出され、僚艦Hoodを撃沈され自らも損傷を受けます。やはり14インチ砲ではビスマルクの15インチ砲に対抗できなかったのでしょうか。それでも何とか追跡を行い、最終的にはビスマルクを撃沈に導くことができました。
しかし、レパルスとともに東洋艦隊としてシンガポールに派遣された12月にマレー沖海戦で陸攻機に沈められてしましました。
先日、沈没した本艦から砲弾や艦体の一部を引き揚げて運んでいた中国船がマレー当局により拿捕されたとの報道があり、びっくりしました。鋼材の売却目的だそうです。どうも名前の付け方が縁起悪かったのかもしれません。
2010年7月制作
1941年12月のマレー沖海戦時をキット化したものなので、5月のビスマルク追撃戦時に戻すには第2、第3砲塔上のポムポム砲を噴進砲(Uplauncher)にするくらいで、殆ど手を加える必要はありません。
TAMIYA NEWS May 1976 Vol.57の裏表紙にマレー沖海戦時の塗装図があったので、一度迷彩塗装を試み(付属の一式陸攻も)ましたが、エアブラシもない時代でしたので綺麗に仕上がらず、ビスマルク追撃戦時に戻すためにバラして塗り直しました。
艦載機のスーパーマリンウォーラスは透明プラで風防を再現してみました。
元々シャープなキットなので、クレーンや手すりなどにGOLD MEDAL MODELSのエッチングパーツを使うだけでディテールアップすることができました。
ビスマルク追撃戦では、フッドとともにビスマルクやプリンツ・オイゲンと砲撃を交わしました。
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