いろとりどりの真歌論(まかろん) #19 小式部内侍
大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立
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小式部内侍は和泉式部の娘だ。才女と名高い母を持つ身とあって、この和歌は以下のエピソードと共に話題にされる。
母に同じく、和歌がうまいと評判であった小式部内侍だが、彼女の歌は母親の代作ではないかという疑いがあった。その疑惑をもとに「歌会で出す歌はできましたか? 両親が赴任している丹後に代作してよおかーさん! と連絡しましたか? 早くしないと間に合いませんよね?(現代でも、平安京があった京都市から天橋立までは、電車や車をつかったとしてもスムーズにいって3時間ほどかかる)」とイチャモンをつけた男の前でこの歌を詠んで見せたという。
和歌の技法の一つとして、「掛詞」というものがある。これは短歌がもつ57577という制約の中に、より効率よく情報(意味)を詰め込む手段だ。一つの言葉をどちらと解釈するかによって情景の解像度が上がり、また、どちらの意味でその言葉を受け止めるかによって、イントネーションやブレスの入り方などが変わる。音やリズムといった面でも複層的なニュアンスを生じさせることができるのだ。
こういった、言葉を操る技法や言葉を用いた活き活きとして豊かな表現は、現代短歌よりむしろ、ラップの世界にあるように感じる。そして、ラップというものは、黒人という、社会によってさまざまな点で不利な立場に追いやられている人たちから生じた、反骨的な文化でもある。
そういう視点でとらえれば、ねちっこい暗黙ディスり社会である貴族界隈で、なかなかパンチあるリリックを放ったものだと思うし、この出来事が事実あったかどうかはさておいて、「かしこ気取りな嫌味な貴族野郎を知性一本で若い女がやりこめた」というあたりも、さぞかしフロアを沸かせたのだろう。なんだったら、千年近く沸かせ続けている。
せっかく、そういった共通点をもつのだから、ラップ界隈の人たちにもライムによって生じる和歌の複雑なフロウの面白さが知られるといいのに。
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