いろとりどりの真歌論(まかろん) #16 在原元方

年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやいはん

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 正岡子規にけちょんけちょんに貶された歌として有名な短歌。古今集の一首目である。初の勅撰和歌集の一首目にふさわしい短歌なのか? こんなしょーもないのが? というのが正岡子規の主張らしい。が、私としてはむしろ、この歌こそが古今集の頭にはふさわしいと思う。

 古今集の冒頭には、「仮名序」と呼ばれる前書きがある。「やまとうたはひとのこころをたねとして、よろずのことのはとなれりける」から始まる散文だ。仮名序というだけあって、原文はひらがなで書かれており、あえて漢字をあてるならば、

 「人(一)の心という種 が → 万の言の葉(事の端) となる」  といったところ。

 「春」も「一年(ひととせ)」も「今年」も、それそのものが実在するわけではない。人が森羅万象からある一部分を取り出して「春」と呼び、「一年」とよび、「今年」と呼ぶ。そしてその括りは、人や社会や文化や目的が違えば異なるし、ある人の「春」と別の人の「春」は矛盾しているのがむしろ普通だ。

 「ひととせ」の定義体系は複数ある。そして複数あるということをただ受け入れ受け止める。そんな歌を巻頭に置いている古今集とは、世界の一部を言葉で切り出しているということに自覚的で、言葉の持つ限界に対して挑戦的な歌集で、だから私は古今集が好きなのだ。

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