#短歌 クリームにチェリーをひとつ載せてみて日の丸パフェだって笑う君

この短歌が頭に浮かんだとき、ちょっとびっくりした。
完成させてからしみじみ、自分の中にこんなかわいいことを考える部分があったのかと思った。

自分の中にも、
クリームにチェリーをひとつ載せてみて日の丸パフェだって笑ってみせ
あざとい行為者としてあざとく語ってみせる自分と、
それをかわいいと思ってしまう、かわいいと観察者づらして語っている自分が存在している。
どちらも自分であり、その総体こそが自分だ。
さらにいえば、「こういうあざとい感じウザいな」という気持ちが、観察者側の自分の中に存在していたりする。
こうやって短歌にすると、
自分の中の複雑な気持ちや視点の絡みをできるだけそのまま取り出して観察することができる。

短歌の良さはここにあると思う。
自分の中の多面性や視点の揺らぎ、同時に思いが二所に立つ、
立場の揺らぎそのままの言語化を許してくれる。
短さとリズムフレームの頑丈さが、文のねじれの違和感を感じさせないように突っ走り切らせてくれる。

「こういう感じかわいい」
「かわいいと思われたい」
「こういうのに騙されてかわいいと思っちゃうのキモい」
「こういう明るさが受け入れられた時代だったな、今思えば」
この短歌を目にするたびに、微妙に異なる感想を抱く。
それぞれが矛盾している思いをいだく。
矛盾まで含めて自分だし、世界だ。
私はそう思っている。


クリームにチェリーをひとつ載せてみて日の丸パフェだって笑う君

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