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毎日投稿
僕は日頃から“ブレインストーミング”というものをやっている。
カタカナにするとカッコいいが、ようするに「色々な考えやアイデアを出し合って、議論を進めたり、問題解決の方法を見つけよう」というものである。
正確には集団で意見を出し合っていくものだそうだけれど、忙しい日々の中ではそうそう誰かと集まったりすることなどできないので、主に自分一人で考えたことをノートやメモに書き出していき、その思考をまとめる過程を、僕は勝手にブレインストーミングと呼んでいるのである。
何故そんなことをしているかというと、僕は普段からやりたいことが多すぎるのである。けれども「あれもやりたい、これもやりたい」と漠然としたままにしていると考えが散漫になってしまい、いざ何かをやろうとした時に自分の動きが止まってしまうのだ。
動画の編集をしようとした時に小説が書きたくなったり、映画を見ている時に料理がしたくなったり。挙げ出したらキリがない。
なので、「これをやりたい」のその先「どのようにそれをしたいか」ということまで、しっかり頭の中でイメージできるようにしておくことはとても重要なことだ。とりわけ僕にとっては。
時間は無駄にできない。好きな映画やアニメを見るのでも少なからず時間は使うし、小説や学術書を読むのならもっと時間がかかる。本を読む時などは、文章に集中するので、並行して作業することなんてとてもできない。せいぜい、歌のないインストゥルメンタルの音楽を流して自分の気持ちを整えることくらいだ。
音楽を聴くにしたって、歌のある曲は歌詞や声に気を取られて、他のことが疎かになってしまうことも間々ある。なので、その時の自分にはどんな音楽が適しているのかを見極めなければならないし、「この作業をする時はどんな音楽が向いているのか」と事細かに自分と向き合って分析することも大切である。そうしないと「気持ちが乗らない」という一番クリティカルな理由で多くの時間を無駄にしてしまう。
そんな中、今日は何故だか「毎日投稿」という言葉が僕の心の中でとても強く存在感を放っていた。
というのも、毎日投稿できる人というのは、クオリティを一定に維持しつつも時間をかけすぎることなく、毎日同じペースで表現を続けられるということだ。
ブレインストーミングも、一定の時間を制限しないと延々と時間をかけすぎてしまう。
毎日投稿できる人たちは、一体どのように思考を巡らせているのだろう。今の僕にはさっぱり見当もつかない。
僕などは、どんなものでも何か一つ作ったりするのに、何時間も時間をかけ何度も反芻し、気に入らないところを見つけてはまた直すのを繰り返し、結局時間がかかりすぎてしまう。それは、恐らく多くのクリエイターがそうだろうと思うが。
少なくとも、文章を書くということについては、ブレインストーミングの過程を書き連ねることで、それほど時間をかけずになんとか表現の形にはなっているように思える。もともと、物事を文章化すること自体はそれほど苦手ではなかったのだが、近頃は「書きたい」と思っても、思ったように文章が書けず、時間を無駄にしてしまっていたことは否定できない。
それは、多分にYoutubeやらSNSやらの誘惑があって集中できていないことが原因だったような気がしなくもない。集中できれば、どんな人間でもそれなりのクオリティの文章は書けるものよ。
文章を書く悩みといえば、他にも文体の悩みがある。
例えば、敬語。
このnoteを書き始めた頃も、文体を敬体にするか常体(~だ。~である。で終わる文章)にするか、あれこれと悩んだものである。
考えてもみてください。今このように文体が変わってしまうと、読んでいる文の印象もなんだかふわりと変わってしまうような感じがするでしょう。
それは僕自身もそうなのです。頭の中で理想とする語り口調のようなものがあって、それに合わせてトントンと言いたいことがハマっていくと、リズムに乗って文章が完成していくのです。しかし、文体がうまくハマらないと、自分でも「歯切れが悪いな」と感じ始め、書きたいと思っている内容からだんだんとズレてしまうような感覚に陥るのです。
それは僕自身の気分によると言われてしまえばそれまでなのですが、自分の気持ちをうまいこと乗せてガッと完成まで持っていくテクニックを身に付けられないと、毎日投稿できるような鉄人の域に達するのは難しいのかもしれません。
そもそも、僕自身、色々なことに手を出す人間である。なので、その気分が冷めないうちにサッと仕上げられる術があるのなら、それを使いこなせる方が僕の性に合っているとは思う。始めたはいいけれど、仕上がらないうちに飽きてしまって興味を無くすなんてことがあったら目も当てられない。
ブレインストーミングの過程だろうが駄文だろうが落書きだろうが、それが自分自身のトレーニングになるのであれば、このような形で思っていることを書き連ねるのもいいかもしれない。
今日はこのようにして、目次も章題も指針もない文章が出来上がったけれども、このような形で文章を毎日投稿できるかどうか試してみよう。そうしよう。