影山レオ(thursar)

アートプロジェクト「thursar」主宰。映画と文学と猫をこよなく愛します。レガシーデバイスの瓦礫で3D/VRの映像やデジタルアートを作ったりしています。

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アートプロジェクト「thursar」主宰。映画と文学と猫をこよなく愛します。レガシーデバイスの瓦礫で3D/VRの映像やデジタルアートを作ったりしています。

マガジン

  • くわいじん録

    つれづれに“くわいじん”の日常について書き連ねる記録です。

  • 生存報告

    文章を書かない日は、その日にした活動を記録します。

  • 創作ノート

    thursarの企画や創作に関わるメモなど。

  • 巨人育成日誌

    芸術連盟「THURSAR(スルサル)」の活動や運営についての日誌。

  • シネマ・ヴェイン

    好きな映画やおすすめの映画のこと、劇場で見た新作映画のことなど、時には記憶のみを頼りにして、感想や批評を書いたりしています。

最近の記事

相談というのは相手の話を聞くということ。自分のしたい話だけして、聞きたい言葉以外を聞かないのは、相談ではなくて、責任とか判断を他人に肩代わりさせているだけなんだ。

    • 何も記録していない時

      携帯電話を発明されてから長い月日が経った。 携帯電話にカメラが搭載されてからというもの、人々はなんでも手軽に写真や動画を撮って記録できるようになった。 時には何気なく、時には心が動かされて、時には必要に迫られて。 あとで見返すのかも分からないことでさえ記録をすることがある。 とはいえ、記録はデータであり、容量の限界もある。24時間ずっと記録しているわけでもない。 ぼんやりと歩いている時や仕事に勤しんでいる時などは、目的もなくカメラを取り出して記録していたりはしないだろう。

      • 正しいことをしようとしている時に、誰かを口汚く罵らなければいけないのなら、平和は絶対に訪れないのではないだろうか。僕はそう思うぞ。

        • マスコミが嘘をつく時

          今、マスメディアを巡る議論が熱い。 先日の兵庫県知事選をきっかけに「テレビとSNSはどっちが信用できるか」というようなことがよく語られているようだ。 「テレビは法律に縛られていて公平な報道しかできない」 「SNSには規制がないからデマ情報も多く出回る」 というようなことが“テレビ番組”で報じられていたのであるが、テレビも普通に偏った意見をもっともらしく取り上げたり、発言者の意図を捻じ曲げたりして、意図的に嘘をつくことはある。 事件としてパッと思いついたのは、ずっと前にあっ

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        • かみのまつりか
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        記事

          天国に行ける者

          日本では美味しいものがたくさん食べられる。 ハンバーグも、ステーキも、カレーライスも、ラーメンも、寿司も食べられる。 ところが、ある宗教の人々は動物の血を口にしたりはしてはいけないし、ヒレや鱗のない魚介類は食べてはいけないという。 なので、血の滴るようなレアステーキや、アワビやウニやカニやカキなども食べられない。 日本の仏教徒も、昔は肉食を禁じていたりしたことがある。 なので、美味しい肉料理などは食べられなかった。 しかし、今はわりと日本のどの仏教でも肉は普通に食べられて

          天国に行ける者

          「責任」という言葉を使うと何かの罰ゲームのように捉える人がいるけれども、「責任を負う」とは文字通り「責めを負う立場を任される」こと。なので、関係者の中で一番「コラ!」と叱られる立場のことであり、叱られないように頑張ることを言うのである。決して貧乏くじを引く人のことではないよ。

          「責任」という言葉を使うと何かの罰ゲームのように捉える人がいるけれども、「責任を負う」とは文字通り「責めを負う立場を任される」こと。なので、関係者の中で一番「コラ!」と叱られる立場のことであり、叱られないように頑張ることを言うのである。決して貧乏くじを引く人のことではないよ。

          テレビとネットと信頼の話

          最近は、テレビや新聞と同等かあるいはそれ以上に、YouTubeなどのネットメディアが影響力を持ち始めてきた。 では、テレビの報道とYouTubeの動画群を比べたら、一体どちらの方が信頼性があるだろうか。 これは、今のところテレビである。 これは何も、既存のメディアを色眼鏡で見ているとか、ネットメディアを軽んじている、というわけではない。 少なくとも、テレビ局は電波法に基づき国から認可を受けているれっきとした法人で、スポンサー企業(NHKの場合は視聴者)から出資を受けて番組

          テレビとネットと信頼の話

          伝える気ないでしょ。

          世の中には、何かを説明されると「マウントを取られた」と思って怒りだす人がいるらしい。 どうしてそういう思考になるのかというメカニズムは分からないけれど、実際、弱みを見せるといつまでもそれを執拗に攻撃されるかもしれない危険性というのは分からなくもない。学歴マウントやら知識マウントが横行する世の中で「頭が悪い」と思われるのも一種の弱みになるとしたら、やたらと難しい言葉を使ったり、回りくどい言い回しをするのも、そういう“弱み”と見せまいとする一つの防御手段にも思える。 昔のインテ

          伝える気ないでしょ。

          ネットの『トップガン マーヴェリック』にCGが使われているかいないかみたいな論争を横目に、コツコツと自作のVFXの仕上げに勤しむ。僕の映画はVFX満載だけれど、今のところCGは100%使っていない。原理的には100年前と同じ技術でやれることを目指した。その分、大変なことも多いが。

          ネットの『トップガン マーヴェリック』にCGが使われているかいないかみたいな論争を横目に、コツコツと自作のVFXの仕上げに勤しむ。僕の映画はVFX満載だけれど、今のところCGは100%使っていない。原理的には100年前と同じ技術でやれることを目指した。その分、大変なことも多いが。

          前々からぼんやりと思っていること。 現代人には『人生の教科書』が必要なのではないか。「人生に教科書はない!」と言う声も聞こえそうだけれど、概ね人間は人生で困った時に他の人の意見を聞くものだ。困った時にパッとページを開ける教科書の代名詞のようなものが、社会に1個くらいあってもいい。

          前々からぼんやりと思っていること。 現代人には『人生の教科書』が必要なのではないか。「人生に教科書はない!」と言う声も聞こえそうだけれど、概ね人間は人生で困った時に他の人の意見を聞くものだ。困った時にパッとページを開ける教科書の代名詞のようなものが、社会に1個くらいあってもいい。

          手前味噌なのだけど、自分の作った映画が面白くて仕方がない。繋ぎのカットや細かいところがスムーズになったらきっともっと面白くなるはず。これはよく言っていることだけど、作り手に愛される作品が一番幸せなんだ。

          手前味噌なのだけど、自分の作った映画が面白くて仕方がない。繋ぎのカットや細かいところがスムーズになったらきっともっと面白くなるはず。これはよく言っていることだけど、作り手に愛される作品が一番幸せなんだ。

          編集チェック。サイレント映画ではあるけれども、作っているのは現代。では、カット割りや場面転換はどのくらい古い映画に寄せていくのか。昔の映画ではワイプなども頻繁に使って、サクッと場面が変わったりする。この姿勢は見習っていきたい。

          編集チェック。サイレント映画ではあるけれども、作っているのは現代。では、カット割りや場面転換はどのくらい古い映画に寄せていくのか。昔の映画ではワイプなども頻繁に使って、サクッと場面が変わったりする。この姿勢は見習っていきたい。

          算数の話:分数のわり算ってなんだ?

          映画『おもひでぽろぽろ』の劇中で、主人公のタエ子が幼少期に分数のわり算が解けなくて困る、というシーンがある。 このシーンでタエ子は姉から、とにかく「かけ算はそのまま、わり算はひっくり返すと覚えればいい」と言われてしまうのだが、このように「余計なことは考えるな」と言われて納得できないままスルーされてしまった人は意外と多いのではないだろうか。 確かに、「問題を解く」という点では、姉の言うように分母と分子をひっくり返して計算するのが一番手っ取り早い。 しかし、「分数で割る」とい

          算数の話:分数のわり算ってなんだ?

          おお、寒い。寒い日は生姜湯を飲もう。血行を良くして体を温めるのじゃ。そう思っていたのに、台所に生姜がない…。チューブのストックを切らしていたのだった。明日まで僕は生姜無しに生きていくしかないのじゃ…。

          おお、寒い。寒い日は生姜湯を飲もう。血行を良くして体を温めるのじゃ。そう思っていたのに、台所に生姜がない…。チューブのストックを切らしていたのだった。明日まで僕は生姜無しに生きていくしかないのじゃ…。

          算数の話:3×4は4×3である

          算数の問題! 3×4はいくつ? これは簡単、12ですね。 では、4×3は? これも簡単、12ですね。 かけ算は、かける数とかけられる数を入れ替えても、答えは同じになる。これが基本で、大人になってもこの法則はよく使いますね。 しかし、小学校の文章問題などでは、式の立て方を間違えると誤答として減点になるという話はたまに耳にします。 例えば、こんな問題。 僕などは、 「男の子5人×一人当たりのビー玉13個=65個」 という風に式を立て、5×13=65と書くでしょう。 と

          算数の話:3×4は4×3である

          完璧じゃなくていいじゃん

          若い人でも、年を取った人でも、過ぎ去った過去のことを考えるのは日常茶飯事だ。 今朝のこと、昨日のこと、昨年、十年前、子供の頃のこと。 過去の記憶がその人間を形成しているのだから、ふとした時に過去のことを思い出すのは当たり前のことだ。 そして、過去の記憶というのは、必ずしも思い出したいものばかりではない。 日常のなんでもないことをしている時、何かから連想して遠ざけたい記憶が浮かび上がってくることがある。 あいつに嫌なことを言われたとか、こんな酷いことをされた、という記憶もある

          完璧じゃなくていいじゃん