テレビとネットと信頼の話
最近は、テレビや新聞と同等かあるいはそれ以上に、YouTubeなどのネットメディアが影響力を持ち始めてきた。
では、テレビの報道とYouTubeの動画群を比べたら、一体どちらの方が信頼性があるだろうか。
これは、今のところテレビである。
これは何も、既存のメディアを色眼鏡で見ているとか、ネットメディアを軽んじている、というわけではない。
少なくとも、テレビ局は電波法に基づき国から認可を受けているれっきとした法人で、スポンサー企業(NHKの場合は視聴者)から出資を受けて番組を作っている。
なので、丸きりのデタラメだったり確証のない話を無闇に報道することはできない。
例えば、「Aさんが人を殴った」という報道が嘘だったら、迷惑を被ったAさんから訴訟される可能性があるし、出資している企業としても「嘘を拡散した企業」と思われてはイメージが悪くなってしまうだろう。その他にも、BPO(放送倫理委員会)などの監視や電波法・放送法などによる制限もある。
そういう法律やコンプライアンスなどの縛りがあるという点で、テレビというメディアには“信頼性”がある。
しかしながら。
人間同士の関係でもそうだけれど、信頼というのは裏切られたら失墜する。
一見ちゃんとしていそうな人が、実は裏でこそこそと都合の悪いことを隠していたりしたら、それまでの誠実そうな態度や行動などは一切信用できなくなる。嘘がバレた後でどんなに誠実に振る舞っても「それも嘘なんだろ?」と思われても仕方がないのである。
テレビにしても、本来報道すべきことを報道しなかったり、あるいは意見の取り上げ方が作為的だったり、明らかに世論を誘導しようとする事例は確かに存在している。
(現実の問題として、2001年以降のアメリカのテレビや新聞は、米政府の発表を鵜呑みにして過剰にイラクが危険だと煽り立て、世論をイラク戦争へと導いた過去がある)
「じゃあネットの方が信頼できるのか?」という話になるが。
よく世間の会話では「テレビVSネット」のような文脈で語られることが多いけれど、“ネット”というのが単なる一つの塊ではないのはみんなご存じであろう。
Yahoo!ニュースだって立派なネットメディアだけれど、その引用元は共同通信だったり朝日新聞デジタルだったり地方紙だったりと、既存の新聞メディアが多くを構成していたりする。そして、Youtubeの動画も個人の配信ではなく企業が制作して配信しているものもたくさんあるのだ。
つまり、一概に「ネットだから信頼できない」というわけではない。こんなのは当たり前のことだ。
一番の問題は、どこの誰とも知らない人が、確かめられない情報を元に無責任にストーリーを作って人を煽り立てる場合だ。これはテレビの扇動と同じくらい厄介な問題である。
しかし、先程の例で言ったら、「Aさんが人を殴った」というテレビの報道があったのに対して、Aさんが集団に襲われているBさんを助けようと抵抗している動画が匿名でネットに出回ったとしたら、匿名の人物の撮った動画は真実であり、テレビの報道は「真実を恣意的に歪めて隠した」ということになるのである。
情報がより入手しやすくなったとはいえ、個人個人はたくさんの情報の全てを正確に確かめるだけの能力を得たわけではない。
それ故に、メディアというのは“信頼性”が問われている。報道の不誠実な態度は、今まで以上に厳しく見られているということを自覚しなければならない。そして、信頼を勝ち取るための努力をしなければいけない。それを仕事として生きる以上は。
もし、オールドメディアが「我々の情報を信用しない市民は馬鹿だ」などと嘆いてばかりいて何も変わろうとしなければ、本当に「真実など必要とされない社会」がやってくることになるだろう。
それはそれでみんな困るはずだ。何も信頼できず、何にも頼れない世界。そんなところで我々が生きるのは到底不可能なのだから。