さんたいもんだい
人に「読んでみたら?」といって、
自分は手をつけないって本が何冊かある。
それは例えば平野啓一郎だったり(あ、芥川賞をとったものは読みましたが)、それは例えば、池波正太郎の鬼平だったり。
で、
ここ最近いちばんやっかいにおもっているのが、劉慈欣『三体』だ。
自分、もともとSFに対して、ちょっとアレルギーがあるのだ。
『星系出雲の兵站』が全くダメで、そのことを乾燥として書いたらSFファンからお小言をもらったりして。
たとえば『ファウンデーション』だってそうだ。
『銀河帝国衰亡史』か。
あれも、一巻のとば口あたりで止まっている。
なんというかとっかかりがないというか、ふだんの読書のような情熱みたいなものがわいてこない。
何がダメなんやろか?
『三体』。
でも、なんとなく薦めておいた友人が三部作、全部読んでしまったので、流石に読まないわけにもいかず、さらに、もう少々したらネットフリックスで『三体』やったりするので、これはしょうがないと思い、手を付けることにした。
したが、やっぱ今のところ、立ち上がってくるものがない。
SFってやっぱ、映像で見ないと、規模とか、物量とか、圧倒的戦力とか、ぜんぜん思い浮かばないというか。
それでもともかく、第一作は読みますが、読みますがぁ、どうなんかなあ。
計器類とか、物理学的なものとか、数値とか、そういうものが科学的に正しいものだとして、それがエーコが言っていた「反復」とか、「列挙」だとしても、そこに含まれている感情が、平明というか、見たままなものにどう応対したらいいのやら、いまだにわからない。
いやいや、まだ半分くらいしか読んでないのだ。
判断はすまい。
同時並行的に、シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』と、
メイ・サートン『独り居の日記』も読んでいるのだが、
ヴェイユなどは難しいことをいっていたりして、立ち止まることはあっても興味をうしなったりすることもないし、
サートンは、ひとの生活をうつくしく書き連ねてあって首肯このうえなし。
飽きるということがない。
読んで感じ取れる何かがあるように思える。
しかしなあ、『三体』は…どうかなあ。
珈琲と岩茶と将棋と読書と、すこしだけ書くことを愛する者です。