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どういうわけか、三回目

どういうことなのか。

腰を温めるためだけだった。

全身を洗い、伸びた髭をあたり、湯船に身を沈め、あたりを見回した後、長居をせず脱衣所でさっさと頭を乾かして、一枚のハンドタオルのみで吹き上げて立ち去った。

立ち去ったはいいが、まだ借りてある本が進んでいないのに、図書館にはないので広域照会をかけてやってきた予約本がとどいていて、それを借りなくてはならず、「読めんのかよ」ってこころのなかで自分へ突っ込みつつ、図書館員の方から本を受け取った。

あとは帰るのみ。なのに…。

何か物足りず、駅のプラットホームにたい焼き一尾を片手に、無印の麻バッグを肩にしょって立ち尽くす。
重い。だんだんと腰に負担がきている。。
今朝から一錠ものんでない魯基礎(私が名付けたロキソニンの新しい形)。
フラッと、
なんとなくフラッと、たい焼き(抹茶クリーム味)をむしゃつきながら自宅方面とは別行きのほうまで歩いたら、やってきた電車の乗ってしまった。

過ぎていく田舎特有のカットされずに伸びの伸びきった植物のもりあがりをみせる自然の壁のむこうに、秋の日差しに照らされた山々がかいま見えるが、じぶんは観ているようで、なにもみていない。みえていない。

桂川に、喫茶店があるらしい。
グーグルマップがそうおっしゃる。
駅についたので見渡すが何もない。
いや、探せばあるんだろうけど、一瞬で降車やめた。
ならば飯塚だ。飯塚がいい。
飯塚で降りた。
新飯塚ではない。
一度お会いした海外文学の人が教えてくれたサテンは、休み。
火曜だと休み。
あ、味覚焼きがあるわと、グーグルマップで見ると火曜は休み。
みんななんでだが火曜休み。

仕方ないので兎も角中心地まで歩く。
嘉穂劇場跡をのぞいたりして、商店街を歩いてみる。
相変わらず、活気のない飯塚の商店街。
なぜかたくさんあるたこ焼き屋。
飯塚駅から歩いてくる途中に三軒はみた。
味覚焼きも入れたら4軒だ。
案外知られてないたこ焼き町街角なのかもしれない。
しかし一度たりとも購入したことがない。

ただ、なんとなく懐かしい。この商店街周辺。
それってここを都会だと思って通ったことがある幼い頃があったため。
花火がまだ売っている。
夏がまだここでは停止しているのか。

帰りは高速バスに。
家の近くで降りるつもりでいたのに、なぜかそのバスは停車せず。
一気に博多蔵本までいってしまった。
仕方なく、またしてもベローチェに入店してサンドイッチとアイスコーヒーを頼み、時間まで読書。
家方向のバスに乗って帰宅を遂げた。

先だって叔父が遠行したとき、親戚から言われた言葉が引っかかって、ずっとリフレインしてるんだけど、何も知らない人に、何か知ったようなことを云われたところで、ただ単に眼前に興味のない画を提示されただけじゃないかっていう風に考えたいと、決めつけたいとしながらも、とおくで構わず繰り返してることが本当に、なんというか。

どういうことなのか。

最近集中力を欠いて読書できないのは、この腰の炎症作用がいくらか影響を与えているのではないかって、気がしてる。

いきおいでなんとなく書いちゃった。


珈琲と岩茶と将棋と読書と、すこしだけ書くことを愛する者です。