正義 vs 正義
パレスチナに通うようになって”正義”とは何か?考えるようになった。
エルサレムで特派員をされていた大治朋子さん(毎日新聞編集委員(専門記者))の新著がかなり気になる。
新著の歪んだ正義「普通の人」がなぜ過激化するのかの一部が毎日新聞政治プレミアのコラム「虫の目 鳥の目 魚の目」で一部要約が公開されている。
社会不安が高まるとなると攻撃的になる人がいる。
人は恐ろしい生き物。はっきり言って”コロナウイルス”より恐ろしい。
誰もが化ける危険性を持っていると思ったほうがいい。誰もがには自分も含まれる。
わたし自身は正義から派生する暴力は”不満のガス抜き”も含まれていると思っている。
コラムでの要約にはこの疑問にまつわる回答は見られなかったが(2)にはあるかなー、本全部読むとあるかなー、もっと高尚な内容かもしれないがけれど。どう思ってらっしゃるかな。
扇動されて文句言ったらスッキリしてなんで怒ってたんだっけ?みたいな人を見かけたり、怒り上がりの気持ちよさとかストレス発散の1つの手段のようになっているように思う。
大きな視点で見る”歪んだ正義”と小さな視点での”歪んだ正義”その1つ。
『あなたのために!』
これ、本当に余計なお世話。この枕詞さえあれば何でもありになっている、結構傷つく。この盾の先に普通の人の過激化と歪んだ正義があるようにも思える。
「あなたは、自分がテロリストになることもありうると思いますか」
これは大治さんが「テロリズムの心理」という授業の冒頭で質問されたもの。
規模は全く違うが、わたしは遠い昔の70年代安保学生運動がわたしも学生だったらどうしただろうか?と友人と話すことがある。今の自分の考えや行動を鑑みると誰よりもデモに参加するかもしれない過激派にいるかもしれないけど、みんながそういうノリの時代だからしらけているかもしれないねー、とか。
どちらもあり得る。
わたしが大切にしていること。バランス、でも日和見主義にはなりたくない。イスラエルのユダヤ系の友達もいれば若干右派よりの友達もいる、それでもパレスチナに軸足があって意見を申し勉強するだけでなく、発信して行動する。これからも深掘りして行動し続けたい。
きっとこの1冊はより良いバランスと自分自身を俯瞰するための一助になるように思える。
正義とは何か?日々問いを立て考え行動する。当事者として。