【連載小説】地獄の桜 第十六話
今回の迎え酒はオンザロックにした。これも捨てがたい。ウイスキー本来の風味を味わいたいなら、本当はこれの方が良いのだろう。
そして今日は味わいたかった。それはウイスキーに限らず、色々と報われない身の上の辛さや、何よりさくらに対する淡い恋心を自分の中で今一度嘆きたかった。さくらの笑顔を近くで見ながら、そのシャープな香水の香りに包まれているよりも、こうして一人酒に溺れながら目を閉じて滲む涙に咽ぶ時の方が、切なさは幾重にも加速して、やがて僕の理性をも追い越して行ってしまうようだ。
冷えた味わいはツンとした苦みで、それはさくらの清新な反面どこか冷ややかな存在感に似ていた。どこまで深く進んでも、どこまで近づいてもガラス一枚で隔てられたような無機質な感覚が僕の心からは拭い去ることができない。それを振り払いたくて僕は、こうして何度も何度もさくらに逢わずにはおれないのだと思った。
夜は憂鬱の色に塗り潰された。その中に埋もれるようにして、今日と明日の区別もつかないままに僕はぐちゃぐちゃの布団の上に倒れこんだ。
不思議なことに、深酒をした時ほど朝は決まって早くなるものだ。それともそれはただの勘違いで、深酒をするタイミングが、仕事の疲労がピークを迎えた週末と重なっているに過ぎず、本当の原因はむしろ心身の疲弊にあるのかも知れないし、結局のところ、良く分からない。
それはともかく、早く目が覚めてしまった。何をすれば良い? 日曜日に、予定もなくこんな早くに起きたところで、いったい何をすれば良いんだ?
そうふがいない自分を責めたところで、答えが見つかるはずもなく、「迎え酒か?」なんて言ってふん、とふざけてみるのだが、そんな虚しい一人のアチャラカ芝居を演じてみても……まあ淋しさが退屈に変わった位の違いはあるかも知れない、それが僕が小説を書くことであり、ひいては大学生の頃絵を描くのに熱中した理由でもあり、僕の僕らしさの根本を形作っているものは、案外生活のこんな微細な部分に象徴されているのかも知れない。
僕は徹底的にふざけるしかないと高をくくっていた。大体において、学校の教師や親が声を荒げて説教していることと逆のことをすれば、人生は割と上手く行くものだ。
「苦しいことから逃げるな!」
「適当にやるんじゃない!」
「説教慣れしたら終わりだ! 高くくってんだろ!」
「ふざけるな!」
「志は高く!」
「文武両道!」
「嫌なことでも進んでやれ!」
僕はいじめから抜け出すために勉強を利用したに過ぎなかったが、それは比較的他のことより勉強が割合好きだったというのもある。好きなことには一日の大半を使ってやれるので適当にやっていても自然、得意となる。部活に一切入っていなかった点も有利だった。
結果、部活なり勉強なり必死に嫌々やった同級生たちは、三~四流大学か、たまに二流大学にかろうじて進み、同じ優クラスで適当に好きなことだけをやっていた目立たない怠け者の僕は、一人だけ都内の一流私立大学とやらに、特に推薦もセンターも使わず、かといって補欠にもならずに試験をあっさりとパスしてしまい、我ながら、「僕みたいなやつに限ってこうなるなんて」と申し訳なく思った。酒癖が付いたのは、そんな忸怩たる思いを抱きながら送った大学生活の中でのことだった。
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