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【連載小説】地獄の桜 第三十三話(最終話)

 それから話は僕の恋愛相談に移っていった。Saylaさんは言葉を選ぶように、まるで自身も悩むかのように言葉を紡ぎながら、このように言った。
「たぶん……私が想像する限りでは……その人は……そうですね……二度と帰ってこないと思います。
 それより、今は体の調子を整えた方が、いいと思います……
 江並さんは、アナハタチャクラの状態が不安定で、時に開きすぎたり、閉じすぎたり、しているのだと……思います。
 しばらくここに通って、チャクラの状態が良くなってから……次の恋のことも考えられてはと思います……」
 次の恋! 嫌な言葉だ。いや厳密に言えば、その時まさに嫌になった、言葉だ。僕はいつの間にか、次の恋を見つけていた。Saylaさんへの恋心を。
 そして都合の悪いことには、その後の会話でSaylaさんには夫がいることを知ってしまったのだ。次の恋なんて言ったって、端から絶望的なのでは、仕方ない。
「分かりました。とりあえず心身を穏やかにできるようにしたいと思います。
 というより、不規則な生活が、やっぱり悪いんですかね。
 描いてると、つい真夜中になってしまうんで……」
「なるほどですね……それは一番よくないことです……アーユルヴェーダでは、日が沈んでから再び昇るまでの時間は……極力様々な刺激を避けることが良いとされています……」

 結局僕は、なんだかんだあって、Saylaさんの手作りキャンドルと芳香剤を二、三個ずつ購入して帰った。
 地下鉄の駅への入り口をくぐる前に、何とはなしにこの街を振り返って眺めてみた。あたりが暗くなり掛かっているという変化だけで、相変わらず足の踏み場もない雑踏。やたら派手なビカビカのビルばかりが目立ってうるさい。そこには僕の帰るべき場所などないように思えて、胸が何かに吸い込まれたような、変な侘しさを感じた。

 それから段々と僕は絵の仕事に行き詰まりを感じるようになっていった。何だか集中が出来なくなってしまったからだ。
 とある大きな個展のサブイベントで講演をするときも、
「『何でもない風景』『何でもない日常』、そういったものに意味などあるのでしょうか?
 しかし私は確信しています。『いや、確かにある』と。
 しかしそれは、批評家が哲学的に意味づけするような、難解な思想の中にあるのではありません。
 要するに、リアリズムですね、現実感。
 例えば、私たちが今このように巡り会うことが出来たこともそうです。そんな今この瞬間にも、はたまた別の瞬間にもある身近なことでもいい。
 常に私たちの目の前に、意味はいくらでも転がっているのだと思うのです」
 なんて、エラソーなことを言っているときも、最前列で聞いている女性が自分の好みだったりすると、頭の中にSaylaさん、さくら、その他自分が片思いをした女性などのイメージが何重にもなってちらつき、控えめに言っても目眩がしそうだった。
 でも個展の会場にたまに顔を出してみると、ファンの方の一人から「これからも末永い創作活動を応援します!」と言われたりして、申し訳ない気持ちで一杯になった。

 ある日の夜、僕はその寂寥とした胸の内に酒を流し込むために、繁華街で店をいくつもハシゴしながら、それでも満たされない心持を抱いて辿り着いたその店に、はっと息を飲んで、そしてその店を暫し見つめた。
 ちょうど廃業した『Cherry』の跡地に、こんどはコンカフェが新規開店している。怪しげな紫の影を店先に落として、まるで僕を誘惑するかのようだ。
 僕の足は考えるより先に動いていた。
 『地獄の桜』というその看板を見ることもなく。そして、そのコンカフェは僕があげた金を資金にして、さくらが営業しているものであるとはつゆも知らずに……(完)

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