遊ぶ場所が、帰る場所へ
飛行機から降りて通路を歩くと、いつも東京への乗り換えか到着ロビーか、どちらか一方にしか行けない選択肢を迫られる。だいたい到着を選ぶ私はその先の階段を降りて、荷物を受け取り外に出る。正面が自動ドアだからぶわっと外の風が入ってきて、夏は暑いし冬は凍えるほど冷たい。異国の空気を嫌でも感じてしまう場所。
神戸空港は、私にとっていつも異国で。
だからこそいつもわくわくする場所だった。
風通しの良すぎるホームに上がり、ポートライナーに乗ってとりあえず三ノ宮に向かう。赤い橋や綺麗な海、ハーバーランドが見えてきた頃にはもう私のテンションは静かに絶頂を迎えてしまうのだ。
JR三ノ宮駅。
着いた瞬間からビルの隙間に異国情緒を感じられる空気感。変わった柄の駅の天井。北野異人館方面に少し歩くとお洒落なスターバックスが見えてくる。元町方面に歩いたら、洋食がとびきり美味しいお店が立ち並ぶ。
このまま三ノ宮散策をしてもいいな。少し電車に揺られて大阪に向かってもいいな。
そんな風に思いながら、いつも気の向くまま、好きな場所に向かって過ごしていた。月に1回の私の旅はいつも行き当たりばったりで、計画性のなさからくるゆったりとした時間が大好きなのだ。
十分に異国を満喫した私の帰る場所は、三ノ宮から3駅離れたJR兵庫駅。
改札を出るといつも甘いシュークリームの匂いや焼き立てのクロワッサンの匂いがする。駅構内にあるお店は訪れる度に姿を変え、いつも私の食欲を根こそぎ持っていこうとするから困る。
決してきらびやかな街ではないけど、駅前ののんびりとした空気感や、少し休憩しているタクシーの運転手さん、キャリーバッグを持ったおじいちゃんおばあちゃんがいるロータリーの光景を見ると、不思議とほっとした。きちんと、そこに日常がある。たぶん、私がずっと暮らしていた田舎の空気と似ている部分を感じられるからなんだと思う。
関西スーパーで少し買物をして、塚本通を歩く。ぽてぽてと家までの道を歩く間にも、たっぷりと時間を使って街の雰囲気を堪能する。彼の住む町。彼が毎日を過ごすこの街を、私も好きになれるだろうか。
いつも考えることは2つだった。
ここでずっと暮らすか、もう2度と訪れないか。
彼はたいていソファの上にいた。「おかえり。」とも「よく来たね。」とも声をかけることはなく、「何飲む?」「お腹空いてる?」と、日常の延長線にある話題をふってくる。そこに特別感は皆無だったからこそ、その先を意識せざるを得なかったのかな。
居酒屋さんに向かうときには携帯だけを持って、買い出しに行くときにはお財布だけを持って。外に出ないと決めたときには置いてある自分のパジャマに着替えて、化粧を落として。いつだってくつろぐ準備はできていた。
なんてことない時間を過ごすための月1回の私の旅は、本当にいつもなんてことはなくて。わざわざ飛行機に乗る必要もないくらいの用事を済ませて帰ってくることがほとんどだった。
何のために行くの?と聞かれてもはっきりと答えることはできなかった。彼に会うために、とも、おいしいものを食べるために、とも違う。自分の居場所がここにもあることを確かめに、というと格好が良すぎるけど、本当になんとなく、いつもここにいた。
なんてことない旅は、なんてことなく終わるから、気づいたらいつも帰りの飛行機のチケットを発券した後。空港の展望デッキにいた。
神戸空港の展望デッキは神戸港を一望できる。ポートライナーが走るところも一望できるから、ここに来るといつもあぁ、戻ってきちゃったな、って気分にさせられてしまう。束の間の非現実なんて、こんなもんだ。
上島珈琲の黒糖アイスコーヒーはいつも通り甘い。普段ブラックしか飲まない私なのに、ここではイレギュラーなことをしたがるから驚く。
十二分に景色を堪能してから、甘くておいしい珈琲にいつも少しだけ後悔して、長崎空港についてからコンビニかスタバに駆け込む。慣れないことするからだ、とブラックコーヒーを飲む頃には、もう神戸の街並みが恋しい。こんなこと繰り返すからまた飛行機に乗ろうとしてしまうんだけど。
繰り返し通いつめた神戸空港は、どの季節に行っても変わらず風通しが良くて気持ちよかった。そのことは私をいつも安心させたし、非現実に足を踏み入れた感覚がして好きだった。
いつからだろう。
神戸空港が帰る場所に、長崎空港が遊びに行く場所に変わったのは。
名前が変わって初めて発券した航空券は、まるで他人のそれみたいに見えた。いつまでだってここにいたのに、2泊3日のリミット付きの滞在になった。街では100年に一度の大開拓が進んでいて、行く度にその姿を変えた。
もう私の知っている駅前じゃない。この街を離れる時に見送ってもらったあの改札は、涙を堪えて歩いたあの道のりは。今じゃもう、知らない場所になろうとしている。
ここでずっと暮らすことを選んだのは私。なのに、神戸空港に着く度に、涙が出るほど長崎が恋しくなった。
出島ワーフから見る稲佐山、水辺の森の静かな美しさ、遠藤周作記念館から見る夕陽。お願い、私の知らない場所にならないで。私の居場所を変えないで。
そう懇願したところで大開拓は進むし、私の住む場所は兵庫なのだ。その事実はどうしたって変わらない。
だとすれば、私はこれから、自分が置かれた場所を自分の居場所にする努力をしていかないといけない。
今まではもうそこに自分の居場所があった。意図しなくても、居場所を作ってくれる家族や友達がいた。それがどんなにありがたいことだったか、離れてみて、今、やっとわかった。
これからも(当分は)長崎空港が私の非現実への入り口になる。
神戸空港に降り立った私がいつも浮き足立っていたように、長崎を訪れたときは、街の変化をたっぷりと楽しんでいきたいな、今度こそ。
(にしても駅前はちょっと面白いことになってるよね?!新幹線で降り立って、お土産たっぷり買い込んでかもめ街道でちょっぴり飲んで帰る、みたいなことができるようになるのが本当に楽しみ!早く帰りたい!!)