【和訳】2013年のPdoggPDインタビュー【アイドルメーカー】
PDニムのことがもっと知りたい!
著作権曲から見る音楽PDニムの関与について、記事を書きました(下の「関連記事」からリンク貼っておきますね)。
音楽PDについて調べた際、自動翻訳があまりに読みづらいものは自分で直しながら読んでましたので、その時のログを共有します。
これは [weiv] というサイトの記事なんですが、他にもメンバーやパンPD、ソンドゥク先生&キム・ソンヒョンチーム長(ビジュアルクリエイティブチーム)のものがありました。
今回訳したのは、BTS楽曲にこの人ありと謳われるPdoggPDのインタビュー記事です。2013年、バンタンデビュー後半年くらいですね。若い……!
当時のバンタンの様子も語られていて、非常にかわいいです( *´艸`)
是非お楽しみください!
注意書き
申し訳ないですが、素人仕事なので品質保証はしかねます💦
引用する時は、この記事へのリンクを貼っていただければと思います。
[アイドルメーカー] Pdogg プロデューサー | ステージを考慮した音楽を作ること
[weiv] 2013.11.30
日時:2013年7月1日月曜日
場所:新沙洞 Big Hit事務所
質問:チャ・ウジン nar75@naver.com
整理:ホン・ユニ
写真:イ・スンヒ(スタジオ103)
アイドルが韓国のポップミュージック業界の中心的存在だとすれば、必然的に彼らを取り巻く人材や構造が重要になってきます。[weiv]の「アイドルメーカー」特集は、業界の主要人物たちとの深い対談を通じて、ますます複雑化する業界の実情を探ることを目的に企画されました。
最初のインタビュー対象は、BTSとBig Hitエンターテインメントの中核メンバーたちです。今後も機会があれば、インタビューの対象者を増やしていく予定です。
チャ・ウジン:音楽はいつ頃始められたんですか?
Pdogg :2007年なんですが、私が8eightの1集に参加してデビューしました。そして、イム・ジョンヒ3集だったかな、それをしながらバン・シヒョク代表と知り合ったんですが。インターネットを通してでした。
チャ・ウジン:そうなんですか?
Pdogg :そう、シヒョクさんが運営していたオンライン作曲カフェがあったんです。正直、私は彼についてあまり知らなくて。ヒップホップサイトを巡っている中で、ヒップホップカフェがあって、そこの運営者が昔、海外のヒップホップアーティストたちに曲を提供したこともあるという程度しか知りませんでした。正直、当時は歌謡曲に全く興味がなくて。登録してカフェに何曲か上げたら、それを彼が目に止めてくれたのか、ソウルで音楽をやってみる気はないかと。それで上京しました。私の故郷は釜山の方、慶南なんです。まあ、偶然に縁が繋がったんです。その後、8eightの曲も書いてみろ、ジョンヒさんの曲も書いてみろと言われて、運良くソウルでずっと過ごせています。はい、まあ、今まで働いています。
チャ・ウジン:それが2007年ならBig Hitが設立された後ですよね?
Pdogg :そうですね、会社が開設されてすぐに入ったんです。
チャ・ウジン:釜山では他の活動はされていなかったんですか?
Pdogg :まあ、地元の友達とヒップホップのグループみたいなのを作ってました。私はG-Funkやウェストコースト系の音楽が好きで、ソウルにいる先輩と一緒にそういう系統のアルバムを作ろうとしてたんです。でも、結局うまくいかなかったんですよね。結局、釜山では特に目立った活動はなくて、地元のアンダーグラウンドミュージシャンとちょっと交流する程度でしたね。
チャ・ウジン:他のジャンルもそうですが、ヒップホップのコミュニティといえばほとんど弘大にあると思われていますよね。地方のシーンやコミュニティについてはほとんど知られていないんですが。
Pdogg :サムディのことで言えば、友達と釜山のクラブに遊びに行くと、いつも彼がライブをしていたんです。それに、釜山を拠点にしていた「ジギ・フェラズ」というヒップホップグループの先輩と一緒に音楽活動をしていました。そういった縁で、自然とアンタッチャブルのスリーピーなど、そういった仲間たちとも20歳くらいから交流があったんですよ。
チャ・ウジン:それは大体何歳くらいの時だったんですか?
Pdogg :25歳の時ですね。2007年の夏にシヒョクさんがソウルで音楽をやってみないかと言ってきて、1週間以内にそのまま上京しました。そういう面も良く見てくれたんだと思います。私は、その、音楽教育科に通っていたんですが、学校を辞めたんです。私が声楽を芸術中学、芸術高校と出て長くやっていたので、両親はどうしてもクラシック音楽か先生になることを望んでいました。安定しているから。それでも、まあ、とにかく良い機会が生まれて、両親と戦って勝ったんです。つまり、先生にはなりたくなかったんです。両親がどう思おうと。
チャ・ウジン:説得は難しくなかったですか?
Pdogg :とにかく私の曲がリリースされたので、両親は「この子には才能があるのかもしれない」と思ったんでしょうね。実は、バン・シヒョクというプロデューサーが具体的に誰なのか全然知らなかったので、後で調べてみたんです。調べてみたら、彼が長年黒人音楽の分野で活躍し、そういった音楽を続けてきた人だとわかって、迷いはなくなりました。私としては、とにかく教育学科から抜け出したいという気持ちが強かったんです。
最初はちょっと戸惑いましたね。というのも、私はヒップホップやR&Bをやりたかったのに、シヒョクさんはバラードの全盛期だったんです。私自身、ヒップホップでもG-Funkやウェストコースト、LA系の音楽しか熱心に聴いていなかったんです。NasやJay-Z、Wu-Tang Clanみたいな東海岸のアーティストも聴いてはいましたが、それでも「俺のルーツはLA」って勝手に思い込んでいたので。それが突然、エレクトロニカもやらなきゃいけないし、他のジャンルもやらなきゃいけないとなって、混乱してしまったんです。でも、音楽市場自体がそっちの方向に向かっていたので……
チャ・ウジン:Pdogg という名前はその頃につけたんですか?
Pdogg :いえ、高校生の頃からですね。その頃、仲の良い友達とヒップホップグループみたいなのを作って遊んでいたんです。ちょうどその時期に、ソウルカンパニーやビッグディールも結成されたんですよ。「ミルリム」というサイトがあって、そこで活動していました。私も友達と一緒にグループを作ったんですが、残念ながらうまくいかなかったんです。
チャ・ウジン:実は私はPdogg という名前をチョ・グォンのソロアルバムで印象的に見たんです。その時調べてみたら記事が少し出ていましたね。私がそのアルバムが面白いと思ったのは、アヴィーチ(訳注:有名なDJ/プロデューサー)以外の他の外国の曲をただ買ってくるだけでなく、国内の作曲家たちと協力制作体制を取っていたからです。
Pdogg :その時はとても面白かったです。向こうから直接こちらに来て一緒に作業して録音もしながら1週間ほどいたんです。その間にキャンプのように、常に意見交換しながら作業することができました。私は言葉ができませんが、シヒョクさんは英語が上手なので。その1週間の間にアルバムの全曲がほぼ整理されました。とても面白かったです。ミックスも曲に合うエンジニアを探してLAにも行ったりニューヨークにも行ったりして。みんなで動き回りました。
チャ・ウジン:つまり、チョ・グォンのソロアルバムを制作する過程で、これまでとは全く違う経験をしたのではないかと思うのですが。
Pdogg :その時、ビルボードチャートなどを見ると、音楽市場自体がエレクトロニック系に傾いていると見ました。ビートポート(www.beatport.com)に出そうなアーティストたちがポップアーティストたちとコラボして大ヒットしているので。だから私たちもほぼ1年ほどそっちばかり、UKチャートやビートポートを常にチェックしながら研究して勉強したんですが、そうしながらシーケンサー(訳注:編集機材)もCubaseからFL Studioに変えて。本当に必死に勉強しました。あまりにもきつくて正直シヒョクさんのところに行って、これはやめます、と言おうとしたこともあって。本当に喉元まで出かかったこともありました。
チャ・ウジン:防弾少年団プロジェクトはどうつながるんですか?
Pdogg :2010年頃にスリーピーと酒を飲んでいたんですが、私たちは結構仲が良くて、17歳くらい……高校1年生なんですが歌がめちゃくちゃ上手い子がいるんだけど聴いてみる?と言うんです。それで聴いてみたら、おお、すごい。それでシヒョクさんにこういう子がいると言ったら、何かピンときたんでしょうね? そうやって始まったプロジェクトです。その友達がラップモンスターで、彼に最初に会って、その後ビーンジノやベイシックにも会いました(訳注:いずれもラッパー)。その他にもアンダーグラウンドで上手な子たちに多く会ったんですが、いろいろな事情があってうまくいかなかったんです。その時は防弾少年団がどんな方向に行くのか具体的に決まっていない状態で、ただヒップホップを基盤としたチームを作ろう、という程度でした。2010年と11年の間に全国でオーディションを回りながらSUGAが入ってきて、そうやって磨かれていったんです。最初はアイドルではなくヒップホップグループを作る考えでした。
チャ・ウジン:そういう企画が出た理由は何だったんですか?自分がヒップホップをやりたかったから?
Pdogg :いいえ。それよりは、こんなに上手な子たちを埋もれさせるわけにはいかない、みたいな感じでした……。ラップモンスター周辺の友人たちが94年、95年生まれでした。でも、すごく上手だったんです。こんなに上手な子たちがいるんだな、と思っていたら、見てみるとBlock Bのジコとも友達関係で。そうだったんです。ああ、こういう子たちがかなりいるのを見てシヒョクさんに話したんです。最初は防弾クルーと言っていました。そうしているうちに徐々にアイドルの方向に変わりながらまた整理されて、ダンスもパフォーマンスが入ってくるにつれて、大変がる子たちはまた整理されて、そういう過程を経たんです。
チャ・ウジン:新しいチームが出てくる時は、どんな市場を狙うかについての悩みが生まれますよね。防弾少年団の場合は、人々が「メジャーでヒップホップの市場性があるのか?」そんな話をしていたような気がします。
Pdogg :そうですね、シヒョクさんがどう考えていたかはわかりませんが、私の考えでは、まずこの子たちは才能豊かなので、その才能にBig Hitが加わって音楽的なシナジーを生み出したいと思ったのではないかと思います。また、2010年から最近まではエレクトロニカが強かったのですが、昨年の後半から突然ヒップホップベースの音楽が流行り始めたのも、理由の一つだと思います。A$AP RockyやKendrick Lamar、Logicのような新しいアーティストたちが登場するのを見て、「ああ、これでヒップホップが戻ってくる、特に90年代の音楽が再び注目されるだろう」と強く感じました。The Gameを2006年頃に聴いたときも似たような感覚を持ちました。「わあ、これが待ち望んでいたギャングスタースタイルだ」と思ったんです。特にKendrick Lamarはラップも上手で、90年代から2000年代初頭の郷愁を現代的に非常によく表現していました。「すごい! これでヒップホップを求める時代が来るんじゃないか」と考えたんです。
チャ・ウジン:その点でGLAMについての話をしてみるのもいいと思うんですが。ある意味では試作品のような感じがありますね。
Pdogg:うーん、まず音楽はチョ・グォンと似たような時期に一緒に準備しました。つまり、外国のアーティストとほぼ同じように進めたんですが、違ったのは悩みがもっと多かったことです。チョ・グォンがヨーロッパで流行っているサウンドを目指したとすれば、GLAMは他のガールグループ、2NE1やフォーミニットのようなチームがすでにそういう音楽をしているので、コピーのような印象を避けたかったんです。そのため、2年ほど前にダブステップもやってみたり、いろいろ試行錯誤したりした末に、結局はヒップホップベースの電子音楽でいこうと決めたんです。そして「Party」という曲も作りながら、徐々にブラックミュージックの傾向を反映させようと、「I Like That」のような曲でもいろいろな実験をたくさんしました。ただ、GLAMは、どうしてもBig Hitではアイドルに関する経験がなかったため、音楽よりも他の部分で試行錯誤があったように思います。
チャ・ウジン:ポジショニングやマーケティングのような部分ですか?
Pdogg:振付けのような部分、そして放送に関する部分です。振付けも外国から全部取り寄せて、それ自体はすごく良いんですが、激しすぎるダンスだとカメラが捉えられないんです。そういったことをその時はあまり考慮できていなかったんです。カメラに映る部分に関する私たちなりのノウハウが少し不足していたんですね。昔はフルショットも撮ったり固定カメラも多かったのに、最近はカメラがどんどん動くんです。スーッとスーッと。
チャ・ウジン:カメラも進化しているんですね。SBS「人気歌謡」を見ると考えさせられます。
Pdogg:はい、そうですね。ジョンヒ姉さんや8eightはただ立って歌っていたので、私たちには他のスタイルに関するノウハウがなかったんです。努力は本当にたくさんしました。曲もたくさん書いたし、制作期間も膨大で、録音も本当にたくさんしたんですが。
チャ・ウジン:そして防弾少年団でメインプロデュースを担当することになったわけですが、かなり感じが違いましたか?
Pdogg:私はシヒョクさんにただメンバーを紹介しただけなんですが、シヒョクさんは私にそれ以上の何かを任せてくれたと思います。その時期、私は音楽的にちょっと苦しい時期でした。この会社で自分は何をすべきなのか、と思っていて。少し迷っていた時期だったんですが、シヒョクさんが防弾少年団プロジェクトをやりながら、ある意味で私に道を開いてくれたんです。
チャ・ウジン:私はそこが気になるのですが、プロデューサーとしてアイドルグループを準備する際、どのようなプロセスで進められるのか、詳細を知りたいです。
Pdogg:まず、練習生は約30人ほどいたと思います。公開はされていませんが、彼らとはたくさんの作業をしました。曲作りや録音を通じて、相互にケミストリー(化学反応)をたくさん見ました。その期間は約3年で、その間に残ったのがSUGA、ラップモンスター、J-HOPEです。この3人と作業したものは、私のコンピュータに全部あります。彼らは基本的に毎週最低でも1曲は作業していて、課題を出すとそれに取り組むこともありました。人数が多い時はチームを分けて外国のポップにも挑戦し、韓国の歌にも取り組みました。ヒップホップとして再解釈する方法で進めていました。そして、このメンバーが非常に良いと感じた時点で、メンバーも整理されました。また、パフォーマンスができる子とできない子が分かれていきました。そんなプロセスで1年ほど前から本格的に方向性を決めていったのですが、私もずっと考え続けました。会議もたくさん行いましたし、ファッションや彼らの状態、つまりラップや歌のレベルを常にチェックしていました。本格的な作業は昨年の12月か11月から始まりました。その頃から話がたくさん出てきました。ブログも直接運営しながら、そこに載せる曲やカバー曲を選びつつメンバーの方向性を決めていきました。ただ、私が非常に苦労したのは、大衆的な音楽を作らなければならないというプレッシャーでした。韓国のメジャーではヒップホップは恋愛についてラップする必要があるので。
そうでなければYGスタイルのSWAG(自信に満ちたスタイルや雰囲気)をするかです。しかし、それには結局、自分自身が本当に成功し、お金も持っていて何かアピールできるものが必要ですが、私たちは何も持っていないわけです。正直、人々に認めてもらえるわけでもないですから。
チャ・ウジン:フィールドに出ると明確に比較されますよね。
Pdogg:はい、そのようなこともあり、多くの制約がありました。まずデビューシングルには7人全員の声が入る必要がありますので、ラッパー1人あたり16小節を埋めなければなりませんが、私たちは8小節程度しか分け合えないので、その中にみんなが歌える部分も作らなければならず、大変でした。最初は一般的で聴きやすい曲にも挑戦してみたり、YGでやりそうな音楽にも挑戦してみましたが、「これでは差別化できない」と思いました。それで色々と試行錯誤しました。
チャ・ウジン:1年ほど前からですか?
Pdogg:本格的な試行錯誤は約6ヶ月前からです。
チャ・ウジン:そんな状況で、チョ・グォンやGLAMがやったように外国の曲を受け取ることは考えませんでしたか? ヒップホップだからこそ難しかったと思いますが。
Pdogg:そういう考えも少しありましたが、一番大きかったのは中途半端になる気がしたことです。なぜなら外国から曲を受け取ると、そのオリジナリティがほぼ完璧だからです。それをアイドル曲として変える方が難しいだろうと思いました。フォーマット自体が全く違いますから。私たちも最初はそのフォーマットで多く作業しましたが、うまくいかなかったんです。このままだとアイドルもヒップホップも逃してしまう気がしました。その感覚が強くありました。一方でシヒョクさんは基本的にヒップホップは自分自身の物語だから、歌詞や曲作りにはできるだけ全メンバーが参加すべきだと言っていました。受け取った曲でやるわけではないという考えもありました。それでメンバーとの会議も非常に多く行いました。歌詞のテーマは何にするかから始めて。受け取ったメールを見るとタイトルに「〇〇〇-50番目」と書いてあります。修正をかなり多くしているので。彼らも大変でしたね。
チャ・ウジン:確かに他のアイドルグループとは違う感じですね。
Pdogg:つまり音楽作業に入る前から「君たちがやりたい音楽は何だ? 私がやりたい音楽はこうだ」とお互いに話し合っていたんです。会議も一緒に行いました。SUGAという子はビートメイキングを直接行います。そして中心となる子たちが他のメンバーと多くの時間交流しているので、最初はヒップホップをよく知らなかった子たちや、ただR&Bだけが好きだった子たちも変わっていきます。それで私にも訪ねてきて、私があまり知らないようなアーティストの音楽を持ってきたりします。「これ聴いてみて」と言ってくれるんですよね。私はそういうことがとても好きなんです。可愛く見えるし、そうしているうちに「ああ、これを見て!」と思ったりします。彼らとは音楽について非常に多く話しましたし、今でもそうです。
アメリカのヒップホップ音楽が90年代を現代的に表現しているのを見ると、その時代を経験していない世代たちが出てきますよね。それを見ると「私たちにもそんなことが可能なんじゃないか」という考えがあります。
チャ・ウジン:実際、外国の曲を使うことは著作権の問題とも密接に関係していますよね。特に国内では著作権や盗作などを念頭に置かざるを得ませんが、フィルタリングのプロセスや作業はどの程度行っているのか気になります。似たようなものが出てきたらどう整理するのか、例えば破棄するのか、それとも何度も修正を重ねるのか。タイガ(Tyga)の「Dope」の話も出ていますよね。
Pdogg:私の場合は徹底的に調べる方です。でもその前に、まずやりたい雰囲気がありますよね。タイトル曲に関して言えば、LAベースの音楽をやりたかったので、私たちが作るヒップホップにウェストコースト、ギャングスターラップが少し入るといいなと思っていました。昔の音楽を再解釈した曲を探して聴いているうちにタイガを聴いたんですが、これがすごく馴染みのあるサンプルだったんです。ドクター・ドレの「Deep Cover」ですね。そのベースラインを取って、すごくうまく使いこなしていました。そのとき、ふと思ったんです。中学3年生のときに、ジヌションの「ガソリン」に完全にはまっていたことを思い出して、我々もあの頃流行っていた「カムバックホーム」や「戦士の末裔」のような、ベースがどっしりと鳴り響くものをトラップ(訳注:ヒップホップの一種)で解釈したら面白いんじゃないかと。そこからアイデアを得て作業を始めたんですが、「Dope」の場合はソースをシンセサイザーで再作業したようでした。でも私たちは完全にサンプルを使おうと思って、90年代に使われていたサンプル、コントラバスのサンプルを全部探しました。会社に全部あったので。それで複数のものを混ぜて作りました。完全に90年代の雰囲気を出そうと。「ガソリン」も「カムバックホーム」も当時流行っていたコントラバスのサンプルを使っていたんです。それを探すのも面白かったですね。
ただ、曲にパフォーマンスが入るので、トラップで作業したものをテンポも上げて、フォームもアイドル音楽のように変えざるを得なくなりました。ボーカルとラップを抜くと、あまりアイドルっぽくはないんです。一方で、ベースの質感のせいでH.O.T.やソ・テジ&キッズを連想する人もいるかもしれませんが、私はそれよりも90年代のギャングスターヒップホップをもっと現代化してみようという狙いがありました。
最初は社内モニターで「戦士の末裔」みたいだという意見も確かにありました。そこでベースをダブステップのソースや電子音に少し変えてみたんですが、かえっておかしくなってしまって。あ、これは違うなと。だから完全に90年代のサンプラーを探して混ぜて、我々が作ることにしたんです。より90年代の雰囲気が出るように。
チャ・ウジン:つまり、キーワードは「90年代」だったんですね?
Pdogg:はい。90年代の黄金期です。それを2013年の感性に合わせてみようと。アルバムの収録曲を全部聴いてみると、今流行のトラップもあれば、アーバンもありますが、他の曲はボーカルを見せられる曲ではありません。スタイルそのものを90年代や2000年代初頭のヒップホップに取り入れようとしました。今作業している曲も同じです。
チャ・ウジン:それでも「ヒップホップをするアイドル」というのは少し曖昧なポジションで、プロデューサーの悩みは大きかったのではないでしょうか。
Pdogg:本当に悩みましたね。私は個人的にヒップホップサイトでしか活動していないので、そうなると悩みますよ。すぐにヒップホップコミュニティで認められることはないでしょう。YGがここまで来るのに、ほぼ10年近くかかりましたからね。当然時間がかかるものですが、その間に成功を収めれば知名度や音楽への関心も高まるんじゃないかと。そういう面で、彼ら自身もロールモデルをBIGBANGに設定しているようです。どっちみち自分たちの音楽をするチームですからね。我々もこの子たちがだんだん自分たちの音楽ができるように助けなければいけないし、そのためには今すぐには大衆とある程度妥協点を見出さざるを得ない面もあります。そうなると、ヒップホップコミュニティやヒップホップファンには認められないこともあるんです。もちろん、他の収録曲や今後出る曲を聴いてみれば、また少し考えが変わるかもしれないとも思っています。
チャ・ウジン:一つのアルバムを完成させるプロデューサーの役割で、最も重要な部分は何だと思いますか?
Pdogg:まず第一に、ビートをうまく作ることですね。つまり、パフォーマンスを見せられるビートです。パフォーマンスは欠かせないので。ステージ上でのさまざまな要素をうまく表現できる音楽をまず作り出す役割が一番重要だと思います。そのため、歌詞はシヒョクさんがメインでほぼチェックしていて、私は技術的な部分、90年代や2000年代初頭に行っていたラップの方式を指導したりしました。また、録音とミキシング、マスタリング、さらにMVや衣装も常にチェックしていましたが、MVはシヒョクさんと常に意見を交換し、90年代のMVの要素も多く取り入れました。私はダンスや衣装についてはよく分からないので、担当者たちと多くの意見交換をしました。最近は聴く音楽ではなく、見る音楽ですからね。
チャ・ウジン:見ていると、「アーティスト」という言葉がとても重要に使われているようですね。「アーティストを目指す」というのは誰もが望むし、誰もが言う言葉ではありますが、アイドルがアーティストとして活躍することに市場性があるのか、悩むことはありませんか? 必ずそうならなければいけないのか? 非常に時間がかかるし、また様々なリソースも必要ですよね。そのとき会社はどういう根拠でそういう判断をするのか気になります。
Pdogg:結局のところ、それは真実味だと思います。つまり、自分の話をすることが重要で、それで共感を得る。特にアイドルとして育てる、アーティストとして育てるという概念ではないと思います。彼ら自身が音楽を続けていけば、いつかはアーティストとして認められる時もあるでしょうし、この子たちが長期的に自分たちでできる音楽、本当にやりたい音楽を見つけていく時に、私たちは同伴者のような存在になるでしょう。そして今や、アイドルがあまりにも多いので、そういった点が差別化のポイントにもなっているようです。それによって、このグループを好きになる人々が他の方面でも生まれる可能性もありますし。
チャ・ウジン:ファンダムはどのように設定していますか?10代の少女、それとも20代の男性、そういったものです。
Pdogg:まずは小学校6年生から高校2年生くらいまでだと思います。徐々に年齢を重ねながら、一緒に成長するファンダムが必要なんです。ただ、メンバーたちは練習生生活をしていたので、普通の生活についてよく知らないんです。だから、ストーリーが続くというよりは、それぞれの話に流れていくんですね。恋愛の話も切なくて美しいものではなく、その年頃の幼くて若々しい感じの曲なんです。そのうち経験も増えて、内容も変わっていって、それがいい結果になればファンダムの範囲も広がるんじゃないかと思っています。
チャ・ウジン:Pdoggさんが追求する、あるいは目指す音楽は結局ヒップホップですよね?
Pdogg:はい。まずヒップホップと切り離せない立場なので、これからもヒップホップをベースにした大衆音楽の作曲家としてうまくやっていきたいですね。そしてその中心に防弾少年団がいてくれたらいいなと思っています。
チャ・ウジン:追加で、その「真実味」については、個人的にはアイドルグループがむしろ追求しようとしているんじゃないかと思うんです。いろいろな非難を避けるために10年、20年かけて産業的に考えた結果が、韓国のアイドルグループを、いわゆる「アーティスト」に近づけているんじゃないかと。ロックバンドはむしろリアルすぎて古くさいと言いますよね。
Pdogg:ヒップホップもそうだと思います。アンダーグラウンドのアーティストたちはメジャーでちょっと甘い、歌謡に近い音楽を発表するのに、G-DRAGONのようなアーティストはそうじゃないですよね……だからヒップホップコミュニティサイトでは冗談で、本当にリアルなのはGD(G-Dragon)だ、なんてことを言っているようにも思えますね。
チャ・ウジン:とにかく少し面白いですね。もう少し経てば具体的に目に見えるものが出てくるんじゃないかと思います。でもBIGBANGはむしろロックっぽくないですか?
Pdogg:すごくロックですね。私はBIGBANGがデビューする前に、そのドキュメンタリーも本当に熱心に見て、本当に好きでした。最近はアーティストのようになりながらもさらに良くなっていて、とにかく、進化しているという感じがしますね。
チャ・ウジン:そうですね、次のステップが気になるグループです。とにかくインタビュー面白かったです。締めくくりをBIGBANGで終わることになりますね?
Pdogg:そうですね? ハハ。おかげで私もとても楽しかったです。
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