梅仕事と14の数字の謎
今年は梅がえらくお高い。
スーパーでは500グラムで1000円という高値をつけている。特に高いという話を聞かなかった去年は1キロで1000円だったはずだ。つまり例年の2倍の値段なのである。
どうやら今年は裏年と言って梅の実りが芳しくないらしい。
これは気軽に買える値段ではない、今年の梅は高級品かと嘆いていたら、ある日梅が10キロ1箱届いた。神様からのプレゼントかと一瞬思ったがそうではない。自らネット通販で数ヶ月前に去年と同じ値段程で予約購入していたのである。
今年の梅は高いはずだが、安値で予約していた時のまま追加料金などなく届いた梅たち。箱を開けて確認してみたが全体的に出来が悪いという感じはない。
だが、そうなると気になるのが現在価格である。なんとなく気になって購入履歴をクリックして商品の現在価格を確認してみた。
そして、そこに示されている価格に驚愕した。私が早期予約で買った時の倍以上の値段がついているのである。
これは由々しき事態である。私は常日頃から人に恨まれないように細心の注意を払って過ごしてきているつもりである。しかし、そうは言っても恨まれる可能性があることを身を持って知ってしまった。
そう、私が購入した価格は原価割れしていて、経営が火の車になった梅農家さんに末代まで恨まれる可能性である。
予約時は3月だったのでまだ今年の梅の実りがどうなるかは分からない時期だった。
とはいえ、裏年の可能性も考えずに、スーパーでは500グラムで1000円という高値をつけている梅を、私は卑怯にも格安で手に入れてしまったのである。
安く売られた梅と梅農家様の怒りをかわないために私ができることは、せめておいしく梅干しをつくることである。
くわばらくわばら。
私がまだ幼女だったころ、母は梅干しを漬けていた。両腕を広げたくらい大きい平らなザルのようなものいっぱいに広げてある梅を、太陽の照りつける中、汗をふきふき延々とひっくり返す手伝いをしていたことを思い出す。母に言われた通り薄い梅の皮を破らないように、慎重に。
母の作る梅干しはすこぶる酸っぱい。家庭で作られたものの通常の3倍、スーパーで売っているものの15倍はすっぱい。人はそれを赤い彗星デス梅干しと呼ぶ。
母の梅干しは昨年の梅酢を今年の梅に混ぜて……と連綿と繰り返された秘伝のタレのようになった梅酢を使っているので、酸っぱさが濃縮されているのかもしれない。凝縮された秘伝の梅酢のこともあり、入れる塩も通常の半分よりもさらに少なく控えめにしてあるが、母の梅はカビたことは一度もない。
私が梅干しを作り始めたのは一昨年で、今食べている梅干しは母が作ったものでなんと20年物である。つまり、平成16年に作ったものだ。
いつしか家族の誰にも食べられなくなり、瓶も埃にまみれて榁に放って置かれた中で眠る梅たちが、永い眠りを経て私によって発見され、白日の下にさらされ、そして今私の血となり肉となっているのである。
20年ぶりに瓶のふたを開けられた梅干したちはまぶしそうに眼を細めて私を見上げ、にっこりとほほえんだ。気がした。そう錯覚するほどに、彼らからは少しも水分が失われておらず、つやつやに輝いていた。
梅干しと言えば偉大なる松本紘斉先生をご存じだろうか。梅干を愛する者の中で知らないものはいない、かの有名な梅博士の松本紘斉先生である。
我が家の朝はテレビがついていることはなく、家庭を牛耳る母は完全なラジオ派だった。そんな朝ラジオな学生時代は登校前にラジオから流れてくる紘斉先生とラジオパーソナリティーのトークを聞きながら、白米に梅干しをのせた朝食をとっていたことを思い出す。
そのとき食べていた梅は母が漬けたものだったが、まだ熟成していなかったのかデス梅干しではなかった。
もう20年ほど前に見たのだから記憶は曖昧なのだが、松本紘斉先生はテレビの中で梅干しの入った小瓶を手にしながら「これは100年前の梅干しです。私は食べたことがある」とおっしゃられていた。なんと、梅干しは100年前のものでも食べられるのである。松本紘斉先生のつやつやのお顔を見て、俄然自分も100年ものの梅干しを食べてみたいと強く思ったことを今でも覚えている。
どうやら梅干しと言うものはエルフ並みに寿命が長いらしく、最古のもので400年ほど前に作られた梅干しが現存しており、国の重要文化財にもなっているそうな。ちなみに100年前のワインは水になると聞いたことがあるが本当だろうか。梅干しは100年経っても水にはならないのだろうか。
ちなみにのちなみにだが、大学時代に教授が発酵の講義で「〇〇乳業のヨーグルトは殺菌保存がしっかりしているから、1年くらいは保存が効くよ」と言っていたので、早速好奇心旺盛で優秀な学生であった私は自らを実験体とすべく、その日のうちに〇〇乳業のヨーグルトを買い求め冷蔵庫で保存し、1年後に食べてみた。
無事であった。
私の腹は無事であったのだ。
少々苦かったのはたんぱく質分解酵素のプロテアーゼがやや頑張ってしまったからだと思うが、他に見た目やにおいと言ったものはなんの問題もなかった。
しかし、梅はその100倍の保存が利くのである。さすがに○○乳業の清潔な施設を持ってしてもヨーグルトの100年保存は無理だろう。
ということで、さすがに100年は無理だけれども、今から保存しておけば数十年後にかなり年代物の梅干しを食べることができるということに気が付いた若き日の私は、早速母がその年にこしらえた梅干しを保存容器につめたのであった。
そう、私は今食べている20年ものよりもさらに以前に作った梅干しを密かに保管しているのだ。
これはなんと、私がまだ義務教育児童だったころに封印を施したのものである。と思っていたが、先ほど久方ぶりに冷蔵庫から梅干しを封印した容器を取り出して見てみたのだが、なにやらあやしい。私の記憶と実際の数字が一致しない。
私の記憶では中学生くらいの頃に母が漬けた梅をこの封印容器に3粒ほど入れたのであるが、久々に見た梅封印容器の蓋には『14』と書かれていた。
14。
これは一体なんの数字であろうか。2014年では絶対にない。そもそも今食べているのが20年前のものであるし、私は西暦をそのように略したりはしない。ならば平成14年ということだろうか。いやそれも疑わしい。普通平成14年の時は頭にHを付ける。昭和生まれの私は必ずそうする。
そもそも元号は代替わりをすると再び1から始まってしまうので、それが何年物だと計算するのが面倒くさくなるから、昭和が何年まであったのか未だに覚えていない私は、たとえ幼くてもわざわざ元号で記さないはずだ。
私の記憶が確かならば封印を施したのは1996年頃でそうなると平成8年になる。
ここに8と書かれていればそれは小さい頃の私が馬鹿でHをつけなかっただけで、これはH8だということで決着しただろうが、裸の14を前にしてこれはH14だとは今の自分には納得しがたい。しかも平成14年だと私は大学生だ。大学生が頭にHをつけずに14と明記するであろうか。それはただの馬鹿ではあるまいか。
そうなると残る可能性はひとつだ。
そう、年齢である。過去の私は「この梅干しを食べる未来の自分へ、この封印を施した時の自分は14歳ですよ」、ということで14と書いたのではないのだろうか。
アホだ。
アホすぎる。
アホすぎるが14歳の自分なら考えられる。
松本紘斉先生が「私は100年前の梅を食べたことがある」と言っていたテレビがいつ放送されたか分れば、その後に封印を施したわけだし全ては明白になるのだが、残念ながらインターネットで調べてみても、多くのテレビに出演したであろう松本紘斉先生のテレビ出演の履歴情報は出てこなかった。
さて、問題はこの梅をいつ食べるのかということである。
さすがに100年は無理だろうが、せめてできるだけ古い状態で食べたいということで、死ぬ寸前に食べるつもりでいる。しわっしわになった私がさらに口をしわっしわにさせて梅干しを食べている姿を想像しただけで今から楽しみでならない。私が梅干しを食べて死んだ後に、その種で炭素測定をすれば果たしてこの梅が何年に漬けられたものであたのか謎も解けるだろう。その時を座して待ちたい。
それまで私が漬けた若い梅干したちを食べてゆくことにしているのだが、まだ梅酢の歴史が浅いからだろうか、私の梅仕事の経験がまだ浅いからだろうか、一昨年作った梅干しはあまり酸っぱくなく若い味がした。
梅干し作りは手間だが面白い。
来年も作ろう。来年は梅の表年であろうか裏年であろうか。たとえ裏年で原価割れを起こして梅農家さんに恨まれようが、早期予約を忘れないようにするつもりである。
人に恨まれることを恐れていたら、梅干しなんて漬けていられないのである。
それに、数十年後に「あの裏年の時に作った梅干しです」と梅干しを差し出せば、おそらく松本紘斉先生を知っているであろう梅農家さんは、笑って許してくれることだろう。
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