-しあわせのかたち-
先日、夢をみた。
わたしは、比較的、寝ているときには夢をみるタイプで、中には、夢のなかだけにある行きつけのお店などもたくさんある。
古着屋やレコード屋、ホテルや楽器店など、数え上げればきりがない。
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さて、先日の夢は、それほど大がかりなものではない。
ただ、ほんのわずかな本の並んだ本棚と座敷テーブルだけがフローリングの部屋に置いてある、そういう部屋に暮らしている夢。
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しかし、その夢を現実的なものにするためには、わたしの生活には、ギターやベース、機材や画材、イーゼルなど、今のところ、わたしの生活に欠かせないと思えるものがあり、なかなか実現は難しい。
それでも、少し考えてみたことがある。
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先日、しあわせについての記事を読んだ。
わたしの思う幸せのイメージって、どういうものかな。
そう思いながら、思いついたイメージを検索してみた。
わたしの思うしあわせのイメージはこちら。
こういう時間を少しも持つことができたら、とてもしあわせだな、と思う。
まぁ、実際のところ、ある程度は実現したいと思っているし、こう見えて割と即物的な行動を起こしながら生活をするタイプなので、わたしは若い頃から、ひとりで暮らしていたときも、実家に暮らしていても、ずっと椅子で生活をしている。
十代の頃から、こういうしあわせのイメージは、あまり変わらない。
なので、こども部屋おじさんの暮らしでも、叶わないことや実現の難しいことを考えても仕方ないので、それなりに楽しめるように、工夫している。
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そんなこんなであるから、こういう趣きのある部屋の片隅も、生まれたりすることもある。
ちなみに、いつも写真にみえるこの色褪せた黒いテーブルは、祖母の家から持ち運んできたキャスター付きのテーブルを自分でペイントしたものが、そろそろ剥げかけてきている。
このテーブルに合わせたパイプ椅子は、もう何度もその布を張り替えている。
一時期は、黒地のパイプに赤い布の椅子を使ってみたい、という十代の頃の夢を密かに叶えていた。
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まぁ、しあわせのかたちは、人それぞれ。
みんなでわーきゃーして、どんちゃん騒ぎ、みたいなものには、終始一貫して、それほど興味はないので、こっそりしあわせに暮らせたら、まぁそれでいいじゃない、と思っている。
それでも、わーきゃーしてる環境や、楽しく笑い合える環境にも、それなりに恵まれていると思っているし、ありがたいと感じているから、多くを望まないよう、普段は慎ましくしこしこ執筆をして、ほんとたまに楽しく過ごさせてもらえたら、万々歳の人生である。
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そんなこんなで、今夜も、変な時間に寝落ちてしまったので、こんな時間にnoteの記事を綴っております。
それでは、また硝子戸の風に軋む夜に。
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