火の起こし方

焚き火が好きだ。

今の日本では気軽に焚き火できる場所は珍しくなってしまっているが、世界を見渡すと、生活の中に火がある所はまだまだ多い。

動物と人間を分ける大きな違いの一つは、火を扱えるかどうか。

暖をとったり、料理をしたり、友と火を囲んだり、暗闇を照らしたり。火無くして、今の人間社会は成り立たなかっただろう。


モンゴルの田舎を旅した時、日暮れまでにやらなければいけないことといえば、テントを張り、火を起こしておくことだった。火が起きてようやく安心したのを今でも覚えている。

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木が生えない高地では、馬や牛の糞が乾いたものを集めて燃料にした。火が起こせないということは、命に関わることだった。だから、男も女も、火起こしができない人などいなかった。

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(↑馬の糞が固まったもの。最初は汚いと思っていたが、途中からは固形燃料にしか見えなくなっていった。)


モンゴル人ガイドたちは、たいていマッチ一本で見事な火を起こした。すぐマッチ箱が空になってしまう僕にとって、彼らはまるで魔法使いのようだった。

そんな彼らに憧れて、見よう見真似で何度も火を起こしてきた。

雨が降っていたり、風が強かったり、地面や枝葉が湿っていたり。
そんな環境でも着火剤を使うことなく火を起こせるかどうか。そういうことが、僕にとってはすごく大切になっていった。


そんなわけで、今日は、僕なりに学んだ火起こしのポイントをシェアしてみたいと思う。


例えばマッチの使い方。

最初が肝心で、棒に火をしっかりと着火させることが大切だ。火は上に登るから、マッチを擦って着火剤が燃えはじめたら、頭を下に向け、火を棒に燃え移らせる。

着火剤が燃えてる段階でマッチを投げ入れてしまうと、着火剤が燃え尽きたタイミングで火が消えてしまうことが多い。また、風の強い時などは、火が棒に燃え移るまで、手でマッチを囲って、風から守ってあげること。一度棒に火が着いたら、火は簡単には消えないものだ。

マッチ棒に火が着いたら、今度はそれが一番活きる場所に投下する。そのためには、事前に焚き木を集め、セッティングし、マッチを投げ入れる場所を考えておく。


欲張って最初から大きな枝に火をつけようとしても、それはなかなか難しい。物事には順序というものがあるようだ。

まずは着火しやすい、取るに足らないような枝葉に火を着け、それを集めて火を大きくし、もう少し大きな枝に火を移していく。そうやって少しずつ火を育て広げていくことをイメージし、組んでいく。

散々想定してセッティングしても、地面や木が湿っていたり、風が強かったりして、イメージ通りにならないことも多々ある。


そんな時、大切なのは
何度かうまくいかなかったら一度立ち止まって、何かを変えてみること。

例えば、今組んである木を一度バラして組み直してみたり、一度に何本かのマッチを使ってみたり、それでもダメなら立ち上がって少しでも乾いてる木がないか遠くまで探してみたり。

状況を変えずにマッチを擦り続けたところで、マッチがどんどん減っていくだけで、もしマッチがなくなってしまったら、火をつけることはさらに難しくなってしまう。そして火がつかなければ。。。


だから、今まで築いたものを変えることを厭わず、一度腰をあげることを面倒くさがらず、やれることを模索してトライしてみることが大切だ。


それから、小さな火を大きくするために、息を吹くのも有効だ。

モンゴルの遊牧民から教わったのは、口をすぼめて、そこに両人差し指を添え、そこから出る空気の量を少なく細くする技だ。火起こしに有効なのは、広範囲に勢いよく空気を送ることよりも、細く長く空気を送り込むこと。派手さはないが、細く長い空気の方が火を大きくすると知ったのは発見だった。


そして、何より大切なこと。それは、諦めないということだ。
絶対に火は着くと信じ、諦めずにトライし続けていくこと。小さくなった火に息を吹きかけたり、葉っぱを入れてみたりと、諦めずにトライすることで火が安定したことが何度もあった。小さなトライが大きく火を燃え上がらせることも経験した。


そんなわけで、火起こしは、実に多くのことを教えてくれた。
これを書いてみると、長い間くすぶっていた人生に火を起こすイメージが湧いてきた。細く長く、諦めずに息を吹きかけ、うまくいかなければ何かを変えて、火を起こしていこうと思う。


火というものは、火傷をしたり火事に繋がったりと、危険な部分もある。
だからと言って、それを生活から取り上げてしまうのは、なんだか違う氣がしている。

その危険性も含めて火というものと向き合い、それを扱える人間が増えることが、これからの世界では大切なんじゃないかなと、なんの根拠もないが、感じている。

とりあえずマッチがあれば火を起こすことができるという自信は、いざという時に役立ってくれるはずだし、何かの支えになってくれるはずだ。


なんにせよ、やってみなけりゃ、わからない。

だから、男も女も子供も大人も、誰かに火を起こしてもらうのではなく、自分で火を起こしてみることをやってみてもらえたら幸いだ。




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