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大事なのはラベリングの裏に名前を持った人がいることかも

※今回の画像は北九州の地元のちゃんぽんです。こちらではちゃんぽんの麺が細麺で、スープも出汁をしっかりととった味ですんげー美味しかったです。

こんにちはこすけです。また5日空いてしまいました。マジ言い訳ですが時間の確保が最近できなくなってきております。

さてさて、今回は今熱を持って取り組んでいるプロジェクトを通じて学んだラベリングの怖さです。

ラベリングはかなり便利です。自分のアイデンティティーを語る上でとても楽で、自分がどういう人かを説明しやすいからです。まさに肩書きと同じ。

けどそれと同時にラベリングにはステレオタイプや偏見がこべりつく性質がありますよね。

特に最近思うのは「視覚障害者」。視覚に障害のある人は「視覚障害者」と呼ばれ、どこか遠い存在のように感じたり接し方がわからなくなったり。色々な問題がラベリングによって発生します。

勿論「視覚障害者」を名乗ることによって解決される問題もあって、視覚の情報が共有できない、もしくはしにくいことが一発でわかります。

なので大切なのは、ラベリングを持つ人は「そのラベリングの人」なのではなく、名前を持った一人がそのラベリングを「着ている」ことを自覚することなのかなと。

「視覚障害者」でなくても「ホームレス」とか「レズビアン」とかもそうだと思います。多様な方々とコミュニケーションをとり、多様なコミュニケーションのあり方を感じること。これが重要なんじゃないかなぁとプロジェクトの福岡遠征でも感じました。

ではまた5日後に👋


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