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本の感想 青山由紀(2019)『「かかわり言葉」でつなぐ学級づくり』東洋館出版社

 最近LGBTの権利が主張されて市民権を得るようになり、学校教育でも積極的に扱われるようになっています。でも、はっきり言えば、日本の教員は根本問題である「男女差別」から逃げています。

 学級経営に関する書籍は多いです。星の数ほどあります。でも、9割9分、著者は男性です。女性の単著というのはほとんどありません。管理職の女性割合よりも断然低い割合です。
 そんななかで、めずらしく女性の単著を見つけましたので、読んでみました。それが本書です。
 近年の教育書の流行どおり、オビがやたらに太く、著者の顔写真が大きく載っています。そして「筑波大学附属小学校」というブランド学校名入り。・・・まあいいでしょう。

 なぜ買ったかといえば、著者が女性だからというだけではなく、『「かかわり言葉」でつなぐ学級づくり』というタイトルに興味を持ったからです。
 実際に読んでみて、「言葉でつながる学級でありたい」という著者の願いには共感しました。

 ただ。
 全体を通読しての感想は、これです。

「この人は、保護者が高学歴高収入・意識高い系の、ハイソサエティの学校しか知らないんだな。」

 説明します。

1)保護者に目が向きすぎている。

 「叱り方」「褒め方」は「保護者への説明責任」を果たすことが念頭におかれている。保護者に説明できれば、叱っていいんだ。「叱る」という行為そのものは肯定しているんだ。
 「連絡帳の活用法」も、宿題も、保護者に頼りきっている。 最終章の中の小見出し「学級づくりは保護者づくり」には、のけぞりました。おお、よく言った。教育実践の対象は、子どもじゃなく保護者なんだ。

 もちろん、わたしも保護者の協力を得ることは必須だと考えています。でも、学校は、学校だけでできることをするのが一番先でしょう。
 学校という、保護者と切り離れた集団で子どもが何を学ぶかを、学校教員としてまず考えたいと思います。

2)「習慣づくり」に力点を置きすぎている。

 連絡帳も忘れ物をなくすのも全部「習慣」。「宿題は学習習慣」だそうだ。ほお。教育は「習慣づくり」なのか。子ども本人が主体的に考えて行動するようにしないと、それは教育ではないでしょう。教育は、動物の調教とちがうんですよ。

3)学校教員と保護者との「強力タッグ」が子どもの敵になる可能性

 著者は、教室で子どもが叱られたことを、保護者に子ども自身で報告させることがあるそうです。わたしも、トラブルの報告を子ども本人から保護者に報告するように促すことはありますが、主旨がまったくちがいます。著者はこう書いています。

「子どもにとっていちばんいやなのは、したことを保護者に自分で報告することです。だから、それがいちばんのお仕置きとなります。」(p.87)

 やはり、著者は子どもに罰を与えることをなんとも思っていないのですね。もう、ここまでくると、「この人、大人の都合のいいように子どもを調教することしか頭にないんじゃないのか」とさえ思われます。

 こんなふうに保護者と「強力タッグ」を組んでいると、先生と親の両方が子どもの敵になり、子どもを孤立させてしまうことにもなりかねないのではないかと心配です。
 とりわけ宿題を毎日提出するのが難しい子や忘れ物の多い子、すなわち「習慣づくり」がうまくできない子や、友達とのトラブルの多い子は、苦しいでしょうね。先生と親の両方から責められた子どもは、何を学ぶでしょうか。

結論 学校が保護者のカスタマー化を助長する

 きわめてまれな、女性教員が書いた学級経営本ということでこの本を読みました。でも、教員が女性であることが、保護者とりわけ女親(学校に関わる保護者の大半が母親=女性であるという状況は、最近でもあまり変わっていません)の期待(「習慣づくり」など)にきめ細かく沿う形でしか持ち味を発揮できていないのは、がっかりです。
 なお、著者と「強力タッグ」を組むことのできるのは、高学歴高収入・意識高い系の恵まれた保護者だけでしょう。

 臨時休校騒ぎで、学校以外の場で学習を提供するツールやエージェントがぐっと身近になりました。このままいくと、学校も児童と保護者の学校離れを危惧して、さらに保護者の気にいるような経営に腐心するようになるでしょう。学校自身が、保護者のカスタマー化を助長するのです。
 学校教育は、公教育は、これでいいのでしょうか。

 著者には、自身がハイソサエティの客だけをターゲットにしている点について、自覚してほしいです。

 



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