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なぜ「ノウハウ」は私の心を動かさないのか

こんばんは。Likaです。
今日は、朝9時から夕方まで人々とコミュニケーションを取る場にいて、その後、マッサージの練習もして、1日稼働していたにも関わらず、まだまだ今日という1日を楽しみたくて、こうやって書き始めました。
ホノルルはもう23:35で今日が終わろうとしているのに。
そして、明日も朝から予定が入っているのに。

好きなことができるなら、多少寝れなくても平気です。よね、誰でも。

と、昨日書き始め、いつもなら、その日のうちに1つの記事を書き上げて投稿するのですが、さすがに疲れて途中で寝てしまいました。

今日は、夜、家に帰ってきてからナチョスを作って食べた後、寝落ちしてしまい、結局、夜中の0:35から、この続きを書き始めました。
まだ、今日という日を楽しめそうです。

ただ、「書きたいものがある」けど「誰かにどうしても伝えたいものではない」ので、相変わらず、自分の頭の中を整理するためにnoteを使っている自分に気づきました。

でも、たぶんこれが、今回、書きたいことの1つ。
どうしても読んでもらうための文章を書こうとすると、自分が自分じゃなくなるような変な感覚になってしまう。

とりあえず、この話は後の方で書こうと思うので、一旦、脇に置いておいて、まずは、この文章を読んでくださる心の優しい方に、先に謝っておきます。
相変わらず、取り止めもない文章です。長くなるかもしれません。ごめんなさい。
そして、あなたのお時間を少しいただけるだけで幸せです。ありがとうございます。


ネガティブは自分が勝手に作り出していた妄想だった

これまで「人が嫌い」「人が苦手」「人が怖い」と思って生きてきました。
40年間ずっと、人は私を苦しめているものだと思っていました。
ただ、このネガティブを人に知られることは嫌でした。
だから、私はいつも笑顔のマスクをつけて、自分の心を見られないようにしたいと思っていました。

あまり私をよく知らない人たちは、私のことを「どんだけポジティブなの?!」「自由でいいな」「幸せそう」といつも言っていました。
一方、仲の良い友達たちは、私のことを「笑っていても心にどこか負がある」「根が暗い」「幸が薄い顔」と思っていたようで、たまにそんなことを言われることがありました。


でも、前回書いたように、最近、私は「人が好き」なんだと気づきました。

すると、とても不思議なことに、人に会うのがとても楽になりました。
人から不意打ちで連絡が来るのも、前は本当にダメでした。
好意を持って連絡してきてくれているのはわかっているのですが、単純に、「人から連絡が来るということ」そして「同じ日に複数人からたまたま連絡が来ること」が私の心を攻撃してきました。
予定にない電話は鳴っても基本出ませんでした。
たとえ仲の良い友達でも家族でも。

ああ、私を放っておいてほしい!!!

そう思って生きてきました。コロナ禍の誰にも会わない日々は私にとっては本当に幸せでした。
ただ、そんな気持ちは表には出さずに、一生懸命、平常心とポジティブを装って、笑顔で対応してきました。

こうやってずっと、「人が嫌い」「人が苦手」「人が怖い」と思い込んできましたし、それで辛い思いをたくさんしてきました。
これまで日本でやっていた仕事でも、仕事の量が多すぎたストレスももちろんありますが、ただただ毎日たくさんの人に囲まれることが、精神的にしんどかった、と思い込んでいました。

みんな私に優しい。だからしんどい。
みんな私に好意を持って近づいてくれる。だからしんどい。
興味を持たれていることが、なぜか攻撃されているように感じていました。
誰も来ないで、誰も来ないで。
ああ、もう死んで楽になりたい、と何度も何度も思ってきました。
朝起きられない、人に会いたくない、家から出たくない。
毎朝、自分に「がんばれ、がんばれ」と声をかけてベッドから出ていました。

でも、「私は人が好き」と考え方が180度変わってしまえば、見える世界も、感じるものも全く違うものになりました。
たった1つの「気づき」で。

たぶん、これまでもずっと、人は私を攻撃なんかしてなかったのです。
私の思い込みが、私をネガティブの世界へ連れて行ってくれていたのです。
それはきっと、そうやってネガティブに生きることで、私は私の心を守っていたのでしょう。
でも、もう、今の私は、心を開くことができるようになっています。
人の目を気にすることをやめたのです。
モーニング・ページのおかげ、100%の法則を一緒に編み出した同志のおかげ、そして、私の全てを知ろうとしてくれる彼のおかげ。
40年間大事に育ててきた「心の闇」という妄想を、もう、手放してもいい。


お互いを高め合える仲間がいれば、進化が早くなる

人から連絡が来るときはなぜか同じ日に偏りがちです。
昨日と今日は色んな人から連絡が来て、前の私だったら、
「ぐはぁっっ、めんどくさい」「うううううう、しんどい」
と見て見ないふりをしたくなっていたのですが、今の私は、全然平気なのです。
街を歩いていても、人とコミュニケーションをする場所へ行っても、前よりもずっとずっと心が楽に、そのままの自分で話ができているのがわかります。
前と同じように笑顔で話をしています。
でも、笑顔のマスクをつけている、という感覚がありません。

今夜、寝落ちしていた私を起こしたのは、彼からのFace Timeでした。
仕事が終わってすぐ、職場から電話をかけてくれたようでした。

なんと、彼もここ数日、心が癒され、エネルギーが溢れてきて、そして創造的になっている、と言っていました。
そして、人が自分に笑顔を向けてくれることがすごく増えて、街中で笑顔で話しかけられることがすごく増えた、と驚いていました。

実は3日ほど前に、私は彼とDeep discussionをしました。
もう私たちは、隠し事なく話せるので、2人で話をするのがとても面白くて、お互いの考えやアイディアを何でも共有します。
たとえ、お互いを傷つける話になったとしても、「ごめん、正直に言っていい?たぶん傷つけてしまうけど」と聞いて、お互いに、OK!と心を開いて話をします。
お互いの全てを受け入れられる、そんな関係になっています。
あーだこーだ話をしていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

彼はもともと「人が好き」だと言っていましたが、でも私と同じように笑顔のマスクをつけて自分の心を守ってきました。
たくさん人から傷つけられた過去があるからです。
そして、裏切られた経験からか、自分をrespectしてくれる人や自分にgiveしてくれる人、自分に優しくしてくれる人に、自分もrespectする、takeする、優しくする、という考えがありました。
そして、それでこれまでうまくやってきた、という自負がありました。

私はちょうど、「私は人が好きなんだ」と気づいてすぐだったので、その彼の考えについて議論しました。
giveする人を選ぶべきではない、と。
たとえ、目の前の人が自分に何かお返しをしてくれなくても、周りまわって自分の元に戻ってくるのだ、と。
誰に対してもgiveできる人が本当に心がrichな人なんだ、と。
まさに、「情けは人のためならず」を力説したわけです。


私たちは、自分の夢を叶えるために自分の周りの人を慎重に選ぶ必要がある。
なぜなら、

You are the average of the five people you spend the most time with.
あなたは、一緒に過ごす時間の長い5人の平均になる

Jim Rohn

から。
だけど、それが、他の人をrespect しないことやgive しないことを意味するわけではない。
みんなにflatに接することが、自分も一番楽だし、みんなが幸せだし、平和である。
5人だけが自分の味方なのではなく、全世界が自分の味方になり得ると思った方が圧倒的に心強い。


その日、私たちは、他にも色んなことを議論したのですが、彼は、総じて、
「新しい視点をくれてありがとう、その発想はなかった」
と言っていました。

彼も、小さな「気づき」を得て、自分自身が変わって、そして、周りの見える世界が変わったのです。

まさに、

全ては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス「自省録」

です。

こうやって、近くに腹を割って議論し合える仲間がいるって、本当に心強いと感じています。
正直、最近私は、彼は恋愛相手じゃなくてもいい、親友でいいわ、という気持ちがあります。
それくらい、彼と議論をすることが面白い。
根っからの研究者気質という私の本質が顔を出しています。
だからなのか、彼への執着が消えて、とても心が軽いのです。

どう転んでも私は幸せにしかならないから、彼との恋愛としての関係が終わっても別に構わない。
彼がどう思っているのかは知らない。
それは私の手の中にないことだから考える必要はない。


なんで「恋愛のノウハウ本」を買う人のことはバカにするのに「ビジネスのノウハウ本」はこんなに売れるの?

「人は好き」
だけど、やっぱり、共感できない何かがあって、それってなんなんだろうとずっと思ってきました。

ハワイに戻ってきて2ヶ月、自分自身と向き合い、そして、自分のやりたいことでお金を循環させようと考えてきました。

すると、必ず出くわす情報に、いつも困惑して、actionがフリーズしてしまっていました。

それがたぶん、今まで書いて来た、
「自己啓発書が嫌いだ」
って話だし、
「人の真似をするのが向いてない」
って話だと思うのですが、
もっと明確に、自分のこのモヤモヤを表現できる言葉を見つけました。


それが、

「ノウハウ」

です。


Know how「やり方を知る」


私は、「恋に落ちる方法」を知りません。
気がついたら、もう恋に落ちているから。

「誰かを恋に落とす方法」も知りません。
気がついたら、勝手に相手も落ちているから。

でも、巷には、「恋をする方法」「相手に好きになってもらう方法」を教えてくれる人がいます。
ノウハウ本だったり、ノウハウが書いてるウェブサイトだったり。

でも、「恋に落ちる方法」なんて、そんなこと考えようがありません。

なぜなら、

何でその人のことがこんなにも好きなのか説明できないのが恋ですから。
顔を見るだけで自然と幸せな気持ちになるのが恋ですから。
相手のことを思うと心が勝手にキュンとなるのが恋ですから。


私は恋愛のノウハウ本を手に取ったことはないのですが、わざわざ「恋に落ちる方法」が書かれているとは思えません。
では、実際のところ、何のノウハウを教えてくれているかというと、
「傷つかずに恋愛する」
「相手を思い通りに動かす」
「最短で好条件の人と結婚する」
というような、「うまく」恋をする方法が書かれているのだと思います。

つまり、「ノウハウ」を伝える人は「うまくやる方法」を伝えようとしているのです。

それ自体を否定する気は全くありません。何が幸せかは人によって違うので。

ただ、私にとって、人生で大切なことはLove, Beauty, Truthなので、
「うまく恋をする」というのは、なんとなく深さを感じなくて、
それはTrue Loveなのか?
それはBeautiful Loveなのか?
と自問自答してしまうわけです。

たとえうまく最短で自分の幸せに辿り着かなくても、
失敗をいっぱいしてボロボロに傷ついても、
少しずつでも自分なりの幸せを探究してTrue Loveに辿り着きたい。
もしそれができたら、それってBeautifulな人生だよね。
私はそう、思ってしまうのです。


「お金」についてはどうだろうか。

紙幣自体には何の価値もなく、その紙が、そのモノと同じ価値がありますよ、という「信用」から使われているものです。

もはや今は、紙幣も使わず、ネット上に表示される数字が、モノと同じ価値がある、と「信用」されて、数字を減らす代わりに、私たちは何かをモノを得ることができます。

お金は「信用」や「信頼関係」を表すもので、人間だからこそ成り立っていると言えるでしょう。

相手に心を動かされなければ、恋に落ちることはありません。
同じように、お金も、心が動かされなければ、使われません。

つまり、お金を得る、ということは、人の心を動かす、ということのはずなのです。

ビジネスの「ノウハウ」 
= お金を「うまく」得る方法 
= 「うまく」人の心を動かす方法
≒ 相手を「うまく」恋に落とす方法


うーん、
I feel this is not beautiful. Is there any truth?


ビジネスに限らず、自己啓発書、特に最近大量に出版されている自己啓発書は、ノウハウ本が多いように思います。

ノウハウは誰かが成功した、もしくは失敗から学んだやり方だし、そのノウハウを使うということは、人の真似をするということになります。
つい最近までは、私は「人の真似をするのが嫌」なのかと思っていたのです。

なぜなら、発信されるたくさんのノウハウを見ても魅力を感じなかったから。

ノウハウを知っても同じようにやりたいと思えなかったから。

だけど、真似をするのが嫌なのではなくて、そもそもその「うまくやろうとすること」に良さを感じていなかったのかもしれない、と思い始めました。


「ノウハウ」を知って、それ通りにやって成功しても、別に楽しくもないし、美しくもないし、真実も見えてこない。

大学4年生の時に、研究室の教授にできるようになれと言われたルービックキューブがどうしても出来なくて(空間認識能力が低いので)、仕方がないから攻略本を買って、やり方を覚えて、全面揃えられるようになったことを思い出しました。

初めて全面揃った時は嬉しかった。
でも、その後は何も楽しくない。だって、自分の頭を使ってないし、なぜ成功したのかわからないから。
ルービックキューブのノウハウは、「こういう時は、左に何回、右に何回、後ろに何回、前に何回、間違えずに回せば勝手に揃う」みたいなわけわからない感じ。

ノウハウを教えられても、楽しくないし、美しくないし、真実も見えてこない。

でも巷にはノウハウが溢れている。
なぜ。
なぜ人は「やり方」を知りたいのだろうか?


それでふと、思い出したことがありました。

私の高校・学科では、数学の本として、教科書の他に、サクシードとチャート式の2つの参考書が渡されていました。
全て数研出版のものです。

サクシードは、宿題になっていて提出があったのでボロボロになるまで開いたし、全部の問題を解いていましたが、チャート式は宿題はなく提出もなかったので、私は一度もチャート式の本を開いたことがありません。
一度も折り目をつけたことがありません。
めちゃくちゃ綺麗な状態のまま高校を卒業してしまいました。

チャート式は、本当に私には向いていない構成になっていて、問題の下にすぐに答えが書いてあるので、読む気になりません。
クイズの答えが真下に書いてあるクイズ本なんて、何が楽しいの?とずっと思っていました。

そこで、数研出版のサイトで、「チャート」の意味を調べてみました。

チャート式のチャートは、海図を意味するCHARTが語源です。海図は船が暗礁に乗り上げないよう警告し、目的地に入港するための最も安らかな航路を示しています。

解答にいたるための最も安らかな航路を示す海図でありたいという意思をその名に込めた参考書がチャート式です。

数研出版サイトより

なるほど、チャート式って、ノウハウ本だったんだ。
だって、「最も安らかな航路」=「うまく問題を解く道しるべ」だから。


私の学科では、時々、サバイバルテストだかパワーアップテストだか、そんな名前の国・数・英のテストがありました。
このテストは、80点以上取れるまで何度もテストが繰り返され、合格するまでは家に帰らせてもらえないもので、学校で夜遅くまでテストが繰り返されることもあれば、合宿形式で合格するまで寝かせてもらえないということもありました。
といっても、私は、1発で合格していたので、数学で居残りをさせられたことはなく、合宿のときも夜は暇をしていました。

数学のテストは、チャート式の参考書から同じ問題が出されていたそうなのですが、私は友だちに教えて欲しいと言われた時くらいしか、チャート式の参考書を見ていないので、実際にはよく知りません。

このテストも、私がチャート式の参考書を見なかった理由の1つで、知っている問題をテストに出されても、何も面白くないじゃないか、と思っていました。

テストって、知らない問題が出るからワクワクして面白いのに。


でも、大半の人は、テストに合格したいから、チャート式の参考書をめちゃくちゃ勉強していました。
つまり、問題を解く「ノウハウ」を勉強したい人がたくさんいたわけです。

なんなら、解答例ごとまる覚えしていた人もいたのかもしれません。


<数学のチャート式(ノウハウ)>
「うまくやる方法」を学んで「うまくやる方法」を使って、同じ問題を解く。
→ 合格をゲット

<ビジネスのノウハウ>
「うまくやる方法」を学んで「うまくやる方法」を使って、同じような状況にチャレンジする。
→ お金をゲット

<恋愛のノウハウ>
「うまく恋をする方法」を学んで「うまく恋をする方法」を使って、同じような状況にチャレンジする。
→ 恋人・結婚相手をゲット


うむ、みんな「安心」したいんですね。
やっと状況が見えてきました。

失敗したくない。
最短距離が知りたい。
楽したい。
難しいものにチャレンジはしたくない。

だから、ノウハウ本がたくさん溢れていて、しかもそれが売れるんだ。


そして、私は、

失敗してもいい。
最短距離じゃなくていい。
楽しなくてもいい。
難しいものにチャレンジしたい。

だから、ノウハウに魅力を感じないし、それで稼ぎたいと思えないんだ。


ノウハウ本を書くことは容易いけど、全然書きたいと思えなくてactionが止まってしまっていた理由が明確になって、すごくスッキリしました。

私がこれまでいろんな分野で学んできたのは「ノウハウ」ではなく「考え方」です。
数学も、根本的な考え方さえわかっていれば、見たことがない問題もその場で考えて解けるから。
人生も同じ。
根本的な考え方さえわかっていれば、見たことがない問題もその場で考えて解けるから。


「〇〇する勇気」とか「〇〇は⬜︎⬜︎が9割」みたいな本も私は全く魅力を感じないので読まないけれど、こういう本は実際売れているみたい。

結局、人は、

「この本を読んで」行動を変えました

と言える安心感が欲しいんだ。

みんな「安心」を買っているのか。

多くの人にとって、自分から突然何かを変えるというのはとても難しいことに思えるけど、
「こうすればうまくいくって聞いたから」
とノウハウを盾にすることで、行動することがイージーになるんだ。


思考がクリアになった。と、同時に、きっと私の思考は多くの人には受け入れられないんだろうな、という気がしてきた。
まぁいいか、嘘をついてお金を稼ぐよりは、自分に正直でいて屋根がある家で寝られて今日もご飯を食べられたことに感謝する方がいい。


「創造という行為はビジネスのためにやるものではない」

今日から、「The Artist's Way ずっとやりたかったことを、やりなさい」は第11週に入りました。

相変わらず、この本は予言書のような言葉が出てくるので、驚きます。

第11週のところを読み返し忘れていたので、さっき、読んでみました。

たしかに、アートからビジネスが派生することは少なくない。
だが、創造という行為はビジネスのためにやるものではない。
儲かるからという理由で、過去のヒット作の複製を延々と作ってばかりいたらどうなるだろう。
ビジネス上、そうしたくなる気持ちもわからないではない。
しかし、どんなに独創的な作品でも、同様なものを作りつづければ、やがて飽きられてしまうのは目に見えている。
ヒットした映画の続編を作る、ベストセラーの本の類書を出す、売れっ子の画家が似たような絵を描きつづける。
こうしたことはすべてビジネスの要請で起こる。
陶芸家、作曲家、バレエの振付師などにとっても事情は同じである。
いったん成功を収めると、売らんがために、同じ表現の繰り返しを求められるのだ。
しかし、それを受け入れるかどうかは、アーティストの選択にかかっている。
成功したアーティストにとって重要なのは、未来を抵当に入れないことである。
大金を得られるから、二年間、あまり気乗りがしない仕事をするのは、かなり高い買い物だと肝に銘じておくべきだろう。

ジュリア・キャメロン
「The Artist's Way ずっとやりたかったことを、やりなさい。」
サンマーク出版


自分の創造性を守るために、自分に正直であるべきだ、と思わせてくれたこの本に感謝です。

生活に困るとお金を得ることに焦点が行きがちだけど、それをしてしまうと、何かを失っている気がしてならない。

どうしてもすぐにお金が必要なのなら、自分の創造性を傷つけない方法でお金を得た方がいい気がする。

自分のやりたいこととは全く違うことをやって短期的なお金を稼ぐことが、自分の創造性を傷つけず、しかも、創造性を養ってくれるのではないかと思ってきた。

売れない役者さんや芸人さんが色んなアルバイトをするみたいな、そんな感じ。

芸には直結しないけれど、芸を傷つけることもない。
周り回って、いつか芸に生きてくる。

物事は長い目で見た方がいい。
年齢なんて気にしなくていい。

残された私の人生の中で、今が一番若い時だから。


ここまで読んでくださった方がいらっしゃれば、本当に感謝です。
ありがとうございました。

また、何か思い立ったら書こうと思いますので、お時間あるときにたまに読んでくださると嬉しいです。

明日も素敵な1日になりますように。


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Lika | ThinKING of ThinE ThinGs
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