オワリはじまり25 「我が家に残る、祖母vs認知症の形跡」(1700文字越)
祖母が我が家から施設に引っ越して明日で2ヶ月が経つことを思い出した。
今思い返すと、まだ完全には終わってないが父と協力して生前整理を行った結果、我が家からたくさんの家具やモノが無くなり、我が家、特にリビングは本当にすっきりした印象である。
しかし、逆にいうと、現在の我が家は祖母が住んでいたとき、そして祖母が認知症になり僕と父が認知症介護で大変だった頃に存在していた「祖母らしさ」が少しずつ消えていっていることを意味する。
モノが少ない環境を好む僕とモノが捨てられない祖母が共生していないから仕方ないのだが、大量の輪ゴムが箱に入っているのにも関わらず、シンク下の収納の持ち手に宅配弁当が届いた都度捨てずに引っ掛けられていた輪ゴムの姿がもう存在しないには光景をみると、モノが少ない生活を心がけている反面少しセンチメンタルな感情に陥ってしまった。
そんな日々、少しずつ無くなっていく「祖母が住んでいた形跡」だが、今僕が覚えている範囲でいうと、我が家には2箇所ほど存在し続けている。
1つ目は、玄関扉の最上部にマグネットが付いたS字フックにかけられている「熊よけの鈴」
確かこの鈴のことを以前Noteで書いたことがあるが、祖母が徘徊するときに父や僕がそのことに気づくために父が設置したものだ。ちなみに亡き祖父が大好きだった登山の時に愛用していた形見でもある。
僕と父しか住んでいない今、徘徊の心配なんてしなくてもいいので退けてもいいのに、なぜか今でも鎮座し続けている。かなり大きい音がなるので、僕が遊びに行き深夜に帰宅した際はかなり気まずい。
2つ目は「電気のスイッチに残された祖母の文字」(写真付き)
写真のスイッチは家に入ってすぐにある。
ご覧の通り上から順に「家の中」「玄関(外)」「外灯」と書いてある。
以前は2階の階段が上がったところにあるスイッチにも同様に文字が書いてあった。ちなみに書いてあった文字は「ベランダ」だったと思う。
この「スイッチに油性ペンで文字が書いてある」という光景だが、僕の記憶では僕がこの存在に気づいたのは僕が山口に戻ってきた2022年3月下旬だった。
「その時から祖母には認知症の傾向があり、そのことを祖母も薄々気づいていた?」
今の僕はこの光景を見てそう思った。
かなり前の僕の投稿(もしかしたら最初の投稿?)で僕が祖母の行動や言動の変化に始めに気づいたのは福岡で一人暮らしをしていた2021年の半ばで、完全におかしいと感じたのは祖母と父と暮らし始めた2022年3月末である。
もしスイッチに関する時系列が正しければ、そしてこの形跡の違和感にもっと早く気づいてあげられれば、もっと早く祖母に病院を受けさせ、介護認定を受けさせることができたかもしれない。もしかしたら、これまでの在宅介護生活に違った(良い)変化・未来があったかもしれないと思ってしまう。そうなると、色々と後悔が尽きない。
僕がそこまで思ってしまうのには、以前の祖母の性格を知っているからである。
僕が持つ認知症を患う前の祖母のイメージは「かなり神経質な性格」だ。
別に今でも虫の存在を以上に嫌い、服やモノに埃がつくのを嫌うので埃防止にビニール袋を多用しているが、昔の祖母はリモコンに誇りや手垢がつかないようラップを巻くほどの神経質さだった。
リモコンにラップをつけていた人が、普通油性ペンでスイッチに場所の名前を書くだろうか?僕が祖母なら絶対にしないし、したくないだろう。
ということは、祖母の脳内で「場所を忘れたくない」という気持ちが「したくない」という気持ちをある日を機に超えてしまった、と推測できる。
僕は過去にも現在でも祖母に対し、祖母が認知症という事実を伝えていない。
父も同様に伝えていない。だって、もし事実をいうと、きっと祖母は事実にショックを受けるだろうし、「私は認知症なんかじゃない!!」と猛反発する(していた)だろう。
だから祖母と2人きりの場面や、病院での診察やケアマネとの会話では「認知症」と言わず、別の言葉で病名を伝えたり、Dementiaという英語での病名で伝えるなど、とにかく口を滑らせてその言葉を言わないよう注意を向けていた。
祖母は薄々自身の変化に気づいていたのかな?と考えてしまうが、今の祖母に聞いてもその真相はわからないだろう。
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