オワリはじまり35 「ないものねだり」

年末年始休暇も明日で終わり、明後日からは仕事が始まる。

今回の年末年始は29日から31日にかけては、女王様に会って在宅介護時代のお礼がしたいと理由をつけてカフェ巡りをしたり、スリランカ人の親友Nくんが埼玉県から大学時代を過ごした山口県に遊びにきたので我が家に2泊し、たくさんの人や場所に行ったりしてなかなか充実していた。

しかし、Nくんとバイバイしてから今日にかけて、僕はなんとも浮かない気持ちでいっぱいである。今日はMさんの家でおせちをたべて、少し早いが誕生日プレゼントとしてMさんから、そして母から現金をもらって本当は幸せいっぱいなはずなのに…

僕の気持ちが降下しているのは、入院中の祖母との時間が原因である。Nくんとお別れした31日から今日にかけて、僕は父と毎日祖母の様子を伺っているのに、祖母は目は合わせるものの「正気」がない。

せっかく孫か会いにきたというのに、
そして手術が成功して車いすで動けるのに、
動く素振りすら見せず、ずっとベッドに横たわっている。

ただただ目を開けたり閉めたりを繰り返すだけ。
父がたくさん話しかけるものの、口ではなく手振り素振りで意思を伝えるだけの時間がすぎていく。

そして僕の一番の懸念は、以前あれほど大食いで我が家の冷蔵庫を漁り、僕を困らせていた、あの祖母が看護師曰く食べ物を全く食べないということだ。

今回の入院は脚の骨折だから手足は自由に動かすことができるのに、看護師の介助なしでは意地でもたべないとのこと。さらに介助があっても、数口たべたら手を横に動かし「いらない」とするらしい。
そのことを年末聞いた僕と父は、先日祖母が大好物のもずくとなますを買ったのに、看護師曰く食べなかったとのことだった。

在宅介護時代に徘徊や大食いで、あれほど僕を困らせていた祖母はもうそこにはいない。そして、これまで何度も書いてきたが、今の祖母は口喧嘩以前に話す意思すらない。

言い方が良くないが、祖母をみていると植物状態と同然という表現しか浮かばない。

「なんのために生きているのだろう?」
「ただ生かされているだけの状態」

祖母をみていると、ふとそう思い、悲しくなる。
数ヶ月前まで、あれほど祖母の行動にストレスを感じていたのに、今はその頃の祖母が恋しくなる。

「ないものねだり」という言葉を僕は良く会話で使うが、まさか祖母を見て思うことになるとは…

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