がんばらないことをがんばるってきめた。
もうがんばるの、やーめた。
私は、ずっとがんばりやさんだったとおもう。
こどものころからよく「しっかりしてるね」「がんばってえらいね」と言われてきた。褒め言葉だったと思うけど、ちっともうれしくなかった。
ただ甘えられる環境がなかっただけだし、がんばらないと認められないと思っていた、とても可哀想な子どもだったと今では思う。
育った環境は決して他人に話せないような複雑な問題で溢れていた。
友達のお母さんに「◯◯ちゃんはしっかりしててがんばりやさんでえらいよね~!!うちの子なんてぜんぜん笑」といわれる度に、その友達が羨ましかった。甘えられる家族がいること、頑張らなくても愛してくれる誰かがいること。友達が着ている可愛いお洋服より、私はそれらがほしくてたまらなかった。
そんな幼少期のクセは大人になっても抜けなくて、ひとりでしっかりしないと、ちゃんとがんばんなきゃと、意味もなく思い続けていた。
大学生になって、実家を出た。正確には家出をしたきり帰らなかった。それ以降は実家に金銭的&精神的な援助を受けることはほとんどなかった。(親戚の家に居候させてもらった。感謝。)
所属していた学生団体は真面目な学生が多く、飲み会の帰りはみんなこぞって早く家に帰っていった。その度に、帰りたい家がない自分はとても惨めに思えたし、そのまま冷たい夜の町でひとりで過ごすこともあった。
就職活動の時期になると、「1人でちゃんと生活できること」が自然と大前提だった。周りには実家から通える距離で転勤なしの一般職を選ぶ友人も少なくはなかった。でも私には実家がないに等しい。だから、総合職で営業を志望した。今まで、どぎつい困難もひとりで乗り越えてきたから、社会人になってもひとりでがんばれるはず、という謎の自信だけがあった。育った環境は悪かったけど、耐え抜いてきた。だから大丈夫、がんばるんだって思っていた。
社会人一年目。お金が貯まるとすぐに一人暮らしを始めた。実家が職場から通える範囲のため、家賃補助はほとんどない。奨学金の返済もある。とにかく金がない。その上、いろんな不幸が重なり、はじめて担当をもったお客さんがなかなかキツかった。でも私はしっかり者のがんばりやさんだからと、自分で慰めては、なんとかしがみついて耐えた。セクハラやパワハラみたいなことも結構あった。それでも我慢した。そんな状況のまま、あっという間に世の中はコロナになって、フル在宅勤務に突入した。緊急事態宣言の期間は、本当に誰にも会わなかった。もし感染して誰かに迷惑かけてしまってはダメだと思ったから。
学生から社会人になったばかりで目まぐるし変化する環境。築30年の小さな部屋で慣れない仕事をたったひとりでこなす日々。ストレスの限界が来たのだと思う。
もう無理だ。ひとりで生きるためにがんばるって決めたのに、たぶん無理だ。
そう悟りはじめてから、徐々に体調を崩していった。
夏が終わるころ、仕事が手につかない状態までに達した。
そして、初めてメンタルクリニックに行くことになった。
お医者さんに、今まで誰にも言えなかった育った環境のこと、仕事のことを、たくさん話した。その時、幼少期から張り詰めていた緊張の糸が、たゆんでいくのがわかった。心がほぐれて、ひとりでがんばらなくてもいいんだと、時には誰かに頼ってみようとも思えた。メンタルクリニックに行って、この現状は自分のがんばりが足りなかったわけでも、しっかりしてないからでもないと分かったことが大きな救いだった。
それまでの私は、休日も仕事のことを考えてしまい月曜日からが不安で仕方なかった。不安な休日をビジネス書を読んだり製品の勉強をすることで乗り越えていた。
一人暮らしを始めたときに、テレビは時間の無駄だとあえて買わなかった。
好きだったバンドのCDも見えないところに片付けた。若手の過ごし方が今後の人生を左右するって、ツイッターでフォロワー多いビジネスマンが言ってたから、無駄なものはすべて排除した。
でも、時間の無駄を排除したら、自分の心が死んで、結果的に3歩進んで4歩下がることになった。
人生は長距離走なのに、私は短距離走のスピードでスタートしてしまったのだろう。長距離走と短距離走では、スタートダッシュの姿勢も走るフォームもスパイクも必要や筋肉も全く違う。十分な知識や準備運動、からだ作りもしないまま、他人より早くゴールに着こうと爆スピードで走って転んで心が怪我したような感じだ。
この心の怪我を治すために、休みの日、今まで無駄だと我慢していたことを思う存分にやってみた。
BOOK・OFFにいってDSを買って昔のゲームをやりまくった。ワイドショーを何も考えずに見たり、バラエティー番組で芸人さんたちの掛け合いを見てたくさん笑った。大好きなクレヨンしんちゃんの映画をアマゾンプライムで全部見返した。眠くなるからと控えていた好物の炭水化物をお昼ご飯にたっぷり食べた。仕事着以外にひさしぶりにお洋服を買って、ひとりで大好きな町に繰り出してみた。新しいコスメをたくさん新調して、誰に見せるでもなく部屋でいろんなメイクを試してみた。
そういった、無理矢理なにかをインプットしない時間がシンプルに楽しかった。生きてる感じがした。心が元気になった。私には、この時間が足りなかったのだと思う。
人生は長距離走だ。そして、大事なのは時間ではなく距離だ。人によってゴールは違う。だから、タイムで競う必要なんて全くない。それに気づかず、ただ誰よりも速く走ることだけしか考えていなかった私は間違っていた。
どれだけ時間をかけてもいい。どれたけ遠くまで走れるか。速さよりも距離の方が、私にはずっと大切だと思った。
正直、今はまだ、どこに行きたいかもわからない。
だから、いつか行きたい場所が見つかった時に、たどり着けるように、自分のペースでゆっくりと走っていこう。もう二度と怪我をしないように、疲れたときはペースを落としたり、歩いたり、立ち止まってもいい。つらくなったら、誰かに頼ってもいい。
そんなこんなで、これから少しの間、がんばらないことをがんばることにした。
これは、怠惰ではない。未来を生きるための大切な意思決定だ。
ちゃんと自分と向き合って、最善の選択肢を自分で考えて行動できる私は、きっと幸せになれると信じてるよ。
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