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テニスコートであそびたい
ネコとワニは、公園でテニスをしてあそんでいました。
「それ!」
「おっと、いい玉だね!」
そこへ、イヌとキリンがやって来ました。
テニスコートは1つしかないので、イヌとキリンはじゅんばんをまたなくてはならないようです。
しかし、イヌとキリンはネコとワニに言いました。
「ねえ、自分たちばかりでいつまであそんでるの?そろそろこうたいしてよ!」
ネコとワニはまだあそびはじめたばかりだったので、こう言いました。
「ぼくたちはまだ来たばかりだから、もう少しまってくれるかな」
しかし、イヌとキリンは顔をしかめました。そして、キリンがなきだしました。
イヌが言いました。
「きみたちのせいでないちゃったじゃないか!
キリンくんはここであそぶのを楽しみにしていたんだぞ!
きみたちは、いじわるだな!」
ネコとワニはびっくりしました。そしてこう言いかえしました。
「ぼくたちは、来たばかりだと言っているじゃないか!
まだ1ゲームもおわっていないんだよ。
少しくらいまってくれたっていいじゃないか」
イヌは言いました。
「いや、きみたちはふまじめで、じゅぎょうちゅうによくいねむりをして先生にしかられているから、きみたちの言うことはしんじられないな」
ネコとワニは何も言えなくなりました。
そこにコアラのおじいさんがやってきました。
このおじいさんはよく公園で本を読んだり、ひるねをしたりしていました。
「キリンくん、これでなみだをふきなさい。
ずっとここで日光よくをしていたんだが、ネコくんとワニくんはまだここに来たばかりだよ」
おじいさんはつづけました。
「じゅぎょうちゅうにいねむりをしてしまうからと言って、ネコくんとワニくんのはつげんをうそだとはんだんするのはまちがっているよ。
それにね、ネコくんとワニくんは朝、公園のそうじをしてくれるいいところもあるんだ」
ネコとワニはてれくさそうにわらいました。
イヌとキリンは気まずそうにあやまりました。
「きみたちをわるく言ってしまってごめんよ。ほらキリンくん、行こう」
ネコとワニは言いました。
「だいじょうぶだよ。もしよかったら、いっしょにあそばないかい」
その後、おじいさんはベンチにすわって読書をはじめました。
さわやかな秋風が、元気なかけ声とボールの弾む音をどこかへはこんで行きました。
解説
有効で説得力のある議論の代わりに、感情に訴えかけてしまうことを、appeal to emotionと言います。つまり、感情論です。この物語では、イヌはキリンが泣き出したことを振りかざし、ネコとワニを責め立てています。
人の主義主張に反論するために、その人の思想や性格を攻撃することを人身攻撃(ad hominem)と言います。この物語では、まだ遊びはじめたばかりだというネコとワニの主張を、イヌは彼らの不真面目さを取り上げて否定しています。授業中に居眠りをすることとネコとワニの主張には、関連性がないので有効な反論ではありません。
また、コアラのおじいさんはネコとワニが公園の掃除を行うことから良い子だという結論付けを行い、犬の人身攻撃に皮肉を交えて応じています。このように、人身攻撃は、個人がもつ多面性から必ずしも一貫性のある答えを出すものではないため、反論方法として間違いであることは明らかです。個人がもつ多面性について、ネコとワニに対して、犬は負の面を、コアラのおじいさんは正の面を見ているという点から、個人を一面からではなく、多角的な視点から判断・評価することが大切です。
議論の上で感情を表に出すことは、有益ではありません。相手に手の内を明かすことになりますし、その場凌ぎにはなっても、感情論に基づいた結論は脆弱なものとなります。人身攻撃は、相手を怯ませることはできるかもしれませんが、それは自分の主張を正しいとする根拠にはなりません。きちんと組み立てたロジックをもって反論・主張するようにしましょう。
この物語の場合、イヌとキリンはどう交渉すべきだったでしょうか。
参考:"appeal to emotion"
"ad hominem"