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先日興味深いツイートを読んだ。
「男性の小便器はプライバシーの侵害ではないか単純に疑問に思う」といった女性の方によるツイートである。
確かに考えたこともなかった。
隣に立たれると多少気は散るし、小便器同士の間には仕切りはあるものの横目でモノは視認できる。
こういったお気持ち程度の仕切りが大半、もしくは仕切りすらないこともあるが、プライバシーを守れる仕切りはほとんどない。
だからコロナ以前から小便器は隣一個空けるという暗黙のルールがあった。
女性の方には電車の座席をイメージしてもらえるとわかりやすい。
一個空けて使うくらいなら個室にしてしまったほうがいいのでは、と思うが、今まで生きてきて日本国内、ヨーロッパ諸国で個室の小便器は見たことがない。
万国共通なのである。

そういうものと言ってしまえばそれまでだが、多くの男性は小便を見られることに恥ずかしさはそれほど覚えない。
一個隣を空ける暗黙の了解と記したが、これは「わざわざ隣に立たない」というだけで、隣に立たれて嫌悪感を覚えるわけではない。(少なくとも僕は)
多分恥ずかしかったら堂々と立ちションなんかしない。
ただ多くの男性も大便してる姿を見せることにはかなりの抵抗があるはずだ。
ちゃんと大便器は個室なのはその感情を汲んでのことだろう。

だがこの抵抗感は個室によって生まれる「見せるべきではない」「見せてはならない」という思想によるものなのか。
もし女性同様に男性の小便器を個室によって「隠し」たら?
逆に女性にも小便器を作り、オープンスペースにしたら?
この用を足すという行動に伴う価値観に変化が訪れるのであろうか。

抵抗感があるから隠すのか、
隠すから抵抗感が生まれるのか。
鶏と卵みたいだな、なんて考えながら卵を割る。

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