デザイン・ドリブン・イノベーションを読む(2)|第1章:デザイン・ドリブン・イノベーション
というわけで、早速、第1章から読み始めていきたいと思うわけですが、この第1章は「イントロダクション」に位置付けられています。
人月の神話の時もそうなんですけど、どうしても冒頭が重くなるんですよね。こういうものは。
皆さんが本書を読む場合には、ひとまずは読み飛ばしちゃって良いと思います。
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市場のニーズを追うべきか
この章で提示される命題は「市場のニーズを追いかけることに意味があるか否か」です。
まぁ、普通の人は、この問いに対して「Yes」と答えると思うわけですよ。ってことは、この章、そして、この本の答えは「No」となるんですよね。
市場のニーズなんて追いかけなくていい。なかなか思い切った主張です。
なお、この問いは、僕がコンサルタントとしての第一歩を踏み出した2004年に感じていた、「シーズドリブンと言ったって、ニーズが無いところには市場が存在しないんじゃないの?」という疑問にも通じるなぁ、と思ったりもします。若かぁったぁ、あのころぉ、何もぉ怖ぁくぅ・・・いや、怖かった。いろいろ怖かった。
で、本書の主張の話に戻るんですけれど、まず、前提として、イノベーションとは何と定義すべきかのお話から始まります。
詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、イノベーションは2方向ある、と主張されています。
一つは「技術」の変化で、もう一つは「意味」の変化です。
で、これまでのイノベーションは「技術」の変化の話に終始していた、と指摘します。なお、技術変化に関しても「急進的(急激に変わる)」と「漸進的(徐々に変わる)」があり、前者はテクノロジーの変化によって推進される「テクノロジー・プッシュ」で、後者は市場ニーズによって引っ張られる「マーケット・プル」である、と。
じゃぁ、なんで「意味」の変化に関しては語られてこなかったのか?っていう話になるんですよね。引用します。
まず、意味とは何か、について。
人々は製品を買うのではなく、「意味(meanings)」を買っている(中略)。人々は、実利的な理由だけでなく、深い感情的な理由や、心理的、社会文化的な理由からものを使う。
続いて、意味の変化、について。
意味は与えられるものである。意味を理解しなければならないが、意味を刷新することはできない。(中略)意味はR&Dの対象としてみなされていないのだ。
ちょっと高尚ですよね。書籍で関連部分を通読してもらえば、もう少し分かるとは思うんですが、それでも、まぁ、解釈に苦しむところです。でもまぁ、みんなで苦しんでもしょうがないので、とりあえず、僕の浅い理解を書き記しておきます。
意味はとても重要だし、分析することに意味はあるが、売り手・提供者が意図をもってコントロールすることが極めて難しい。そのため、あくまでも「理解」をしようと努めていくに留まり、開発をするのは現実的じゃない。
という感じでしょう。(なお、訳文を読んで、意味が通りにくいなぁと思った時は、原文にあたる方がいいんですけど今回はスルーします)
”意味”に注目するイノベーションが「デザイン・ドリブン」
しかしながら、本書の主題である「デザイン・ドリブン・イノベーション」は、この「意味」の側面に注目しています。それも、漸進的変化ではなく、”意味の急進的変化” に。
最も印象的な事例として、挙げられるのが「メタモルフォシィ」という照明です。照明器具としての機能を超えて、顧客ニーズという枠組みも超えて、”快適さ”を提供するという「意味」を与えようとした画期的な商品である、と語られます。
本書で語られているのが、どのモデルなのかは僕にはわかりませんが、こういう感じの照明のことみたいです。うん。確かに、リビングに置いてある感じはまったくしないな。
その他に挙げられている例は、もう少しイメージがつきやすいです。
■ Wiiのコントローラー:指先での操作から脱却し、身体運動に直結する”直観的操作”を実現した
■ iTunes + iPod:音楽を自分で探し、試聴し、購入し、蓄積し、編成し、聴く、という一連のプロセスとして連続性を与えた
■ アレッシィのキッチン用品:機能美が重視されていた領域に、感情的デザインを持ち込み、愛すべき存在としての価値を生み出した
などなど。
確かに、これらは、これまでとは違う領域を開拓しています。そして、それが「意味」的であるという主張にも納得性があります。
これ以降、いかに、「意味」の変化を起こすデザイン・ドリブン・イノベーションを体系的に理解していくことが困難であり、また、有用であるか、などにページが割かれますが、そちらは書籍をお読みいただくこととしましょう。
最後にもう一文だけ引用を。少々長いのですが、ここまで読み解いてきた内容がこのセンテンスでしっくり腹落ちしたなぁ…と、僕は思ったんですよね。
私の調査による最初の発見は、意味の急進的イノベーションはユーザー中心のアプローチから来ているのではない、ということである。もし任天堂が、既存のゲーム機を楽しんでいる10代の若者に密接して観察をしていたならば、ゲーム機が何たるかを再定義するよりも、仮想世界にもっとのめり込ませるために、従来型のコントローラーを改造していただろう。もしアレッシィが、ユーザーの家庭に赴いて、彼らがどのようにコルク栓を抜くかをつぶさに観察していたならば、1つは自分用に、そしてもう1つは親しい友人にと2度買ってしまうような愛らしいモノではなく、もっと効率的な道具を考案していただろう。ユーザー中心のイノベーションは、既存の意味に対して疑問を投げかけることはせず、強力な手法を用いて、既存の意味を強調する。
はい。ということで、第1章(といってもイントロダクション)の読み解きは終了です。次回からは、いよいよ本論です。楽しみだなぁ。
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