パワポは二次元平面の最大活用術
世の中のパワポ批判は、ひとしきり落ち着いたように思うんだけど、あれって「パワポが悪い」のではなくて「パワポでうまく表現できないのにパワポを使う」ことが悪いって話ですよね。きっと。
あと、パワポを作るのに時間がかかりすぎる、ってのは、もちろん、本人の習熟度の問題も大きいんですよね。
でも、それよりも「時間をかけてもいいなら、しっかりと分かりやすい資料を準備することで、打ち合わせ参加者の理解度向上が促され、意思決定の効率(願わくば精度も)が上がる」という価値を狙うかどうか、って話しなんですよ。
参加者が6人いて、彼らの理解の時間が15分短縮されるなら、90分の価値があります。多くの場合、参加者の方が時間単価が高いので、あなたが資料作成に90分費やしても、リターンは取れます。それを、狙うかどうか。
そもそも、時間をかけて準備するまででもない打ち合わせが多い、っていうことなら、そっちの方が問題なんじゃなかろうか。
そんなの、雑談とかslackとかで済ませるべきでは?って、思っちゃいます。
人間の知覚の限界は二次元
そもそも、パワポ術の真髄は「物事を二次元平面で表現しきる」というところにあります。
人間は三次元に生きているので、(一般的な人間には)二次元までしか直観的には理解できない。だから、理解可能な範囲の最大次元であるパワポ平面上で表現する、ってのは至極自然な発想。
メタバースが発展し、三次元(もしくは四次元)を知覚・体感しながら捉えられるようになれば、話は変わってくるのかもしれません。でもまぁ、当面は二次元平面での表現能力は、価値が減じることはないと思います。
脳内試行錯誤と筆記
僕の場合、脳内では三次元空間というか、多次元の思考領域があって、そこでアレコレ組み合わせたものを、二次元で表現するとどうなるか?と試行錯誤してる感じなんですよ。
僕が良く「紙に書け」「ホワイトボードに書け」と言ってるのは、「思考の試行錯誤を促進しよう」と言ってるんですよね。
横線を一本引っ張っただけの紙がバンバン捨てられるのは、すーっとその線を引きながら、脳内でその線上にアレコレ配置してみて、「あ、これは違うな」って思うからです。
十文字を切るのか、L字にするのか、もそう。
線をひきながら、これで表現できるか?これは左右に並べていいか?上下関係がある概念か?そうだな。違うな。どうしようかな。と、考えてます。
まだ紙に書かれていない部分を、脳内で補完して、試行錯誤を繰り返ししてる。何かが違ったら、即座に捨てる。
1-2本の線以外、何も書かれてない紙に見えるかもだけど、そこには、怨念のような試行錯誤がのっかってる。
だから、捨てる。容赦なく捨てる。
そして、新しい紙に向き合う。真っ白な心で、改めて。
僕は、そういう風にしてますね。
ツールの問題にしてもしょうがなくね?
やっぱひ、パワポが悪なのではなくて、パワポの使い方の問題なんじゃ無いか?と思うんですよね。ほんとに。
ワードでも、エクセルでも、notionでも、confluenceでも、なんでもいいですよ。所詮はツールじゃないですか。
大切なのはコンテンツです。そして、それの伝え方です。
パワポに慣れ親しんだ僕は、おそらく、パワポから離れられないと思うんですよ。でも、だからといって、別に、他人に押し付ける気もない。好きなツールを使えばいいと思う。
ただ、特定ツールを蛇蝎のように嫌って排除しても、情報の整理力も上がらないし、表現力も上がらない。
欲しいのは、論理構成とか伝達できるかとかですよね。ちゃんと、本質を見定めていきたいですよね。
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ちなみに、今回のnote長らく下書きのまま放置されていましたが、このツイートを見て思い出しました。セレンディピティ感。