温故知新
賢者は歴史に学ぶという言葉もあるように、先達の知恵から学ぶ方が効率が良いのは間違いないわけです。
と、いうことで、最近は積読本の山崩しに励んだり、古い本をひっぱりだしてきて読み返してみたりしています。
だからといって、「温故知新」なんてタイトルをつけたら、後から困るのが目に見えてるんですけども。
温めるべき故事は無限にあるんですから。
さりとて、確かに温めてみるとおおっとなることはたくさんあります。
人生訓でも仕事術でも戦略論でも、なんならマーケティングのSTP+3P+1Pみたいなフレームワークでも、あらゆる「故」から学ぶことができます。
手当たり次第読んでるんですが、最近は、「富」の概念についての本が多いタイミングが来てます。特に狙ったわけではなくて、山のその辺りに来てるだけだと思うんですが。
資本主義が嫌いな人のための経済学(ジョセフ・ヒース)とか、富の未来(A.トフラー/H.トフラー)とか、巨神のツール:俺の生存戦略とか、なんなら、テクニウムとか、自由からの逃走とかもある意味では富の話か。
そんな中で、文庫サイズでふとしたときに読んでるのが、アンドリュー・カーネギーの「大富豪の知恵」。
超訳、かつ、エッセンシャル版ということで、真髄に踏み込むには浅いのでしょうけれど、あれこれ考えるトリガーが、たくさん見つかります。
(方向性というか、使い方としては、「一倉定の経営心得」みたいな感じって言えばいいんですかね。まぁ、そんな感じです。)
「富」に関する本は、
富とは何かを論じる
富に対する向き合い方を論じる
お金持ちになる方法を論じる
などに分類できると思うんですね。
で、世の中には3が溢れてるけど、僕はどちらかというと1とか2を好む感じです。
その意味で、カーネギーの「大富豪の知恵」は、2を期待して買ってみたが、なんだか3の要素も多めかな、、、?というふうに捉えていたのですが、1/3くらいきたあたりで「そうか。1の軸で、語られていない前提があるから、3に見えただけで、やっぱり2の話なんだね。」と気づいたんです。
そんなわけで、前段が長くなりましたが、本題はここからです。
まずは引用します。
富は「金」ではない。とカーネギーは捉えています。
富は、社会における財である。と。
だから、彼は「蓄財の方法」ではなく一貫して「事業運営の方法」を語っていたわけです。
しかし、僕がその前提を認識できていないまま読み進めてしまっていたので、「仕事で収入を増やす話」「投資の際に何を気をつけるべきか」などのテーマを表面的に捉えてしまったんだなと。
カーネギーさん、ごめんなさい。やはり、あなたは俗物などではなかった。
事業に向き合い、事業によって「富」を集積する。
そしてそれは、当然ながら、従業員やユーザーを含むステークホルダーに分配される。
短期的なバラマキではなく、持続可能な事業体として、富を生み出し、分配する。
ザッツ資本主義って感じですね。
(共産主義的主張は、とても美しい理論なのですが、この「継続的に富を生み出す仕組み」のところがボンヤリしてるのが唯一の欠点だと思うんですよね。分配による持続的な社会運営の話はしてるんですけどね。)
こうして考えると、「富」と「大金持ちになりたい」という欲求は、うまくリンクしないのかもしれない、と感じてきます。
いや、もちろん、「お金を得たから、社会のことを考える余裕ができるのだ」も、また真であろうと思うわけなので、単純化し過ぎるのも考えものだという前提はありますけれど、それでもやはり「お金が欲しいから短期投資をする」とか、「自分の欲求のためにお金を貯める」とかいう行動は「富」との距離を広げてしまうのかもしれないですよね。
昔から、お金は「稼ぐもの」だと僕は思っていて、当時は「増えたらラッキー」くらいの位置付けにしていました。
多分、それくらいの気持ちで付き合ってる方が、いいんですよ。きっと、ね。
で、「稼ぐ」のところで、事業を興すカーネギーのような人もいれば、事業を興す人をサポートする立場の人もいるだろうし、世の中を支える社会インフラとしての企業群で働く人もいると思うんですよ。
そうした「稼ぐ」行為は、世の中の「富」を増やし、また配分していくメカニズムの一部として組み込まれていきます。
うん、いいですね。
僕が常々思っていたのは、まさにコレなのかも。
温故知新、いいっすね。