[わりとどーでもいいヒストリー]織田信長って、実はいい上司?(1305文字)
♪ 戦国時代が夢なんて あとから ほのぼの思うもの~ って、それ、青春時代ですやん!(*≧∇≦)ノ彡☆
さて、ここで問題です。
有名な『桶狭間の合戦』で、今川義元を討ち取ったのは誰でしょう?
A.服部小平太(はっとり こへいた)
B.毛利新介(もうり しんすけ)
はい、正解はB.毛利新介(もうり しんすけ)です(*≧∇≦)ノ。
毛利新介が、今川義元の首を討ち取ったと、『信長公記』にかかれています。
でもですね、A.服部小平太(はっとり こへいた)が、最初に今川義元を槍で刺したんですよ、でも義元の反撃にあって、膝を切られてリタイアしてしまうんですね。惜しい!(≧▽≦)ノ
で、駆けつけてきた毛利新介が、最終的に義元の首を取ったわけです。
服部小平太にすれば、おいしい所を毛利新介にもっていかれたという思いが強かったのでしょうね。
だから、その後の『首実検』で騒動が起きます。
ちなみに『首実検』とは討ち取った敵の大将等の首を、水で綺麗に洗って、髪を整えて化粧を施し、『〇〇が討ち取った、🔲🔲の首』を書いた札を髪に結んで、それらの首を検分する(たちあって確認する)ことなんですが。
恐いよ、戦国時代・・・(ll゚Д゚)。
ところがその時、服部小平太が、
『ちょ、待てよ。最初に槍で義元をついたの、俺じゃん (ꐦ°᷄д°᷅) 』
と主張したわけですね。
なにせ、相手は敵の総大将、東海一の弓取りと言われた今川義元の首です。そんじょそこらの侍大将とは違いますからねー。
ここは主張しとかないといけませんよねー (´-`) 。
当然、毛利新介も黙っていません。
『はぁ?最後に義元の首をとったのは、俺なんですけどぉ (ʘ言ʘ╬) 』
お互い譲らない二人。
ついには、織田信長の目の前で、取っ組み合いのけんかをはじめます。
さて、ここで問題です。この時、織田信長はどのような対応をしたのでしょう?
A.ふたりとも、同じ手柄とした。
B.見て見ぬふりをして、首実検を続けた。
C.やかましい、ふたりとも罰として手柄はなし、と激怒した。
D.厳格に判断して、最後に首を取った毛利新介のみの手柄とした。
正解は、『A.ふたりとも、同じ手柄とした。』です。で、あるか (´-`)。
厳格にルールに基づいて判断するということも可能なんですが、毛利新介としても、首を取った自分がちゃんと評価されれば満足なわけですよ。
同じ仲間なんだし。相手が自分と同じ評価だといやというわけではないのですね。
かたや服部小平太も、最初に槍でついたという功績をちゃんと評価して欲しいわけですね。途中でリタイアしたから、ノーカンはやってられるかという気持ちもあったでしょう。
そういったことを考慮したのかどうかはわかりませんが、信長は両者ともに同じ褒美をとらせました。
この戦いは、今川勢を押し返しただけで、織田側には新たに得た領土とかはないのですが、そこは経済力のある信長。お金の使いどころを知ってますね。
意外と信長は、評価上手だったのかもしれません。この当時は (´-`)。
いかに不満なく、次のモチベーションを下げることなく人を評価する、これはビジネスの現場でもとてもむつかしいテーマですよねー (´-`)。