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西暦で見た幕末・維新(1)~ペリー艦隊、浦賀沖に出現す~

たぶん、社会人になってからだと思います。知って驚いたことがありました。
学生時代に学んでいた日本史について、です。
なんと年号の月日は西暦ではなく、当時の暦の月日なのでした。

わかりやすく言うと、坂本龍馬が暗殺されたのは、慶応3年11月15日です。
なので11月15日になると、今日が竜馬が暗殺された日だな、と思っていたりするわけです。しかし、それは和暦の11月15日であって、今ボクたちが使っている西暦とは異なるのです。

西暦でいえば、坂本龍馬が暗殺されたのは、1867年12月10日なのです。季節は秋ではなく、冬です。鍋をつっついていてもおかしくない季節です。

本によっては西暦の年月日も並記してくれるものもありますが、月日は和暦のみのものもあります。中には和暦だと気が付かずに、太陽暦の月日だと思っている人だっているかもしれません。
そこで、幕末・維新の時代の出来事を西暦に直してみようと思います。今の季節でみることでなにか違った見方が得られるかもしれないと考えたからです。
で、幕末とはいつから始まるかを考えたのですが、ボクの読んだ本に限って言えば、ペリー来航を起点としているものが多かったので、それに合わせることにしました。
これから不定期に、西暦で見た幕末・維新の出来事を書いていこうと思います。
尚、歴史の見方は当然ながらひとつではなく、異論・反論も多々あろうかと思いますが、これはあくまでもボクが、そうなのかも とか、そうかもしれないな、と思っている程度のものにすぎません。(将来、見方が180度変わるかもしれません)
 
なので寛大な心で読んでいただければ幸いです。また明らかな年代・人名等の誤り等があればご指摘いただければ幸いです。では、始めます。


嘉永6年6月3日未明ー。
アメリカ東インド艦隊が、当時の江戸湾の入り口にあたる浦賀沖に突如姿を現した。艦隊を率いるのはペリー提督。
幕末・維新はこの日から始まる・・・のですが、この嘉永6年6月3日は和暦の表記なのです。

ペリーが日本にやってきたのは、西暦にすると1853年7月8日です。夏です。サマーです。いや6月も一応サマーですけど。
なんか6月ってギリ夏っていうかジメジメした季節って感じで7月っていうともう夏!って感じですよね(個人の感想です)。

さて、浦賀沖に姿を現したアメリカ東インド艦隊。この時、4隻でした(うち、蒸気船は2隻、帆船が2隻)。

実は、ペリー提督は12隻もの大艦隊で日本に来ることを希望したようなのですが、それは叶わなかったようです。

ペリー提督自らが率いるアメリカ東インド艦隊は6隻なのですが、うち1隻は上海、もう1隻は琉球(現沖縄)に残し、4隻だけでやってきました。

派手に12隻の大艦隊で日本に来たかったなぁ・・・とペリー提督は内心そう思っていたのかもしれません。

さて、ペリー提督がわざわざ日本に来た目的は、なんだったのでしょうか。

それは、またいつかー。



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