西南戦争とコレラ感染拡大
明治10年(1877年)、この年に起きた日本史の大きな出来事として、明治政府と対立した西郷隆盛による西南戦争(1877年1月29日 – 1877年9月24日)が教科書に取り上げられています。
が、それと同時期にコレラの大流行という事件も起きていたのです。
明治10年(1877年)8月、長崎でコレラが発生しました。8月27日にはコレラ病予防心得が制定されるものの、西南戦争が終わり、従軍した兵士の帰還とともに大阪や京都へとコレラ感染が拡大し、9月にはついに東京へ、そして全国へとー。
その年の12月28日には、内務省がコレラを予防するため、便所・下水等の清掃法を示達しています。
コレラの流行がいつ終わったかまではわかしませんでしたが、全国で感染者1万3710人、死者7976人という大きな被害をだしています。
明治10年の日本は、いまと比べれば、遥かに人の移動範囲も規模も小さかったとははずですが、西南戦争への従軍・帰還という、通常ではありえない規模の人の動きと、コレラの発生が重なってしまい、大きな被害を出してしまったようです。
人が動けば病原菌も動く。あたり前のことですが、ボクたちが学ぶ教科書には西南戦争が起きたことしか載っておらず、それによってコレラの流行が拡大したことは、歴史の陰に埋もれてしまい、歴史から学べなくなっています。
戦争という愚かな行為の副反応で、死ななくてもいい人が大勢死んだ。
後世に伝えるべきことを伝えなかった、そのツケは、高い代償をもって支払わなくてはならないのでしょう。
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