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いだてん噺

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2024年7月の記事一覧

[いだてん噺]日本の人見(1576文字)

 1925年(大正14年)。
 絹枝が京都市立第一高等女学校の教員となり、生徒の指導に勤しんでいた頃、二階堂トクヨは二階堂体操塾の専門学校への昇格に向け準備を推し進めていた。
 
 そのトクヨのもとに台湾総督から招待状が届く。
 1925年(大正14年)8月11日から10日間の予定で開催する、台湾教育会主催『全島女教員体操講習会』講師として来台願いたいーという内容であった。

 トクヨは二階堂体操

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[いだてん噺]京都市立第一高等女学校教師(1207文字)

 1924年(大正13年)。
 日本で最初となる本格的な陸上競技場・明治神宮外苑競技場が完成した。
 11月6日~7日に東京日日新聞社主催で、全日本選手権大会が開催され、絹枝はこれに参加している。
 7日のホ・ス・ジャンプ(三段跳び)では10m38を、槍投では26m37を、ともに世界記録を出している。

 トクヨは8日の朝早くから新聞を買い集め、岡山の絹枝の母校と家に発送したという。

 1925

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[いだてん噺]世界新記録(1209文字)

 二階堂トクヨからの快諾を得て、第3回岡山県女子体育大会に出場するため、喜び勇んで帰省する絹枝だったが、玄関を開けたとたんに線香のにおいが鼻をついた。

 1924年(大正13年)10月5日。第3回岡山県女子体育大会が、岡山女子師範学校で開催された。

 当日、絹枝の父母だけでなく、姉も義兄も応援に来てくれたという。
 この大会にて絹枝はホ・ス・ジャンプ(三段跳び)で、10m33の記録を出す。当時

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[いだてん噺]出場要請電報(1056文字)

病気が癒えてから10日ばかりたった後、絹枝のもとに、岡山県からの一通の電報が届く。

「ケンカノタイカイニゴシュツジョウヲノゾム」(県下の大会にご出場を望む)

去年、絹枝が是非にと頼まれて出場した岡山県女子体育大会を今年も開催するにあたり、大会を主催する岡山県当局からの絹枝の出場を依頼するものであった。

出場を要請する電報に絹枝は、どうすべきか迷った。

二階堂トクヨは、スポーツ選手が持ちがち

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