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Life is a journey...なのか?


「人生は旅だ」とよく聞くのは私だけでしょうか?


私の第2のホーム、デンマーク出身の有名な作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンも " To travel is to live."(旅することは生きること)なんて似たような名言を残しています。

旅と人生を重ねる方々の話は、本で読んだり直接お話を聞いたこともある。とても納得するし、何よりその人の言葉で語られるストーリーは感動する。


でも "旅" という概念も "人生” という概念もなんだか壮大すぎて、私だったら旅の "何" を人生の "何" に重ねられるだろうかとちょっと考えてしまったりします。(人との出会い?心おどる冒険?新しい経験?思い出…?)


そんな私が心から旅と人生を重ねられたのは、

思い出してみたら2016年夏、パリに行った時。

大学を休学していた当時、チェコ→オーストリア→ベルギーと3ヶ月間滞在して、その後のデンマーク長期滞在前の旅の一区切りとなった場所。

行くと決めた理由は小学校の時からの友達も当時パリに住んでいたのと、こんなにも有名な都市はどんなものか見てみたいというミーハー心。


そこで私はお決まりコースのモナリザとエッフェル塔に会いに行きました。(他に行ってよかったと感動したのはポンピドゥセンターとサクレクール寺院、Shakespeare and Companyと快晴の空を背景にしたノートルダム寺院)

そこで、それほどは大きく感動しなかったモナリザとエッフェル塔をみて笑、冷静に私は思ったわけです。

モナリザは私が生まれるずっと前、500年前くらいからずっとここで絶妙な笑顔を振りまき続けているんだよなあと。

鉄の貴婦人と称されるエッフェル塔だって、鉄といえどもさすがにそろそろ座りたいと思いながら100年以上もここに立ち続けているんじゃないかと。

…何が言いたいかというと、コロッセオもモアイ像もずっと "そこ" にいるということ。私が会いにいけば会うことができるということ。

教科書の中で見ていた "それ" にはテクスチャーがあり、印刷では出せない色があり、ちゃんと雨にあたり、風が吹く環境に存在しているということ。

ずっと生でみたかったクリムトの接吻だって、ムンクの叫びだって、美術館のチケットさえ買ったら「やあ、いらっしゃい。」と他の作品たちと肩を並べてアッサリした顔で待っていてくれたわけで。

ーーーなんだか、小学生の時に初めてディズニーランドでミッキーとミニーに会った感覚に似てる。(あの、トゥーンタウンの家に会いに行けるやつ。「え、ミッキーさんミニーさん、ショーに出ずに私たちと写真撮ってていいの!?」みたいな。笑)

なんだ、こんな簡単に会えちゃうの!?みたいな感覚。


私たちはちょっと難しく考えてるだけで、本当に見たいものは自分で「見る」と決めれば案外あっさり会えるものなんじゃないかということ、

その、「見る」と決めて行動にうつすことが実は1番難しいことなのかも、ということを当時思ったわけです。



旅ってツアーじゃなかったら、

自分でどこに行くと決めてスケジュールを組まないと何も起こらない。

伝統的な美味しいものを食べたいと思ったら、

お店を調べて自分のお腹と相談しなきゃ、どこに行くかも決められない。

もちろんどこにも行かない自由だってある。

ただ公園で瞑想する1日にしてもいい。

そして、美味しいものが食べたいのに、あの絵を生でみたいのに…と思いながらぐずぐずホテルで過ごす自由だって私たちにある。

 "不幸でいること" を選べるくらい、私たちには自由な選択権がある。

ただそこに白いキャンバスがあるだけ。

沢山絵を書くのが良いとか、色を使わないのが悪いということもない。



モナリザに会わない人生でも全然よかった。

でも、会ってみようと電車を調べて行ってみた。

(エッフェル塔やモナリザに関していうなら多忙な友達と遊ぶより、予約の取れないレストランに行くより早く叶えられるかもしれない!)


別に違う道からでも目的地には着くけれど、

友達が「あそこの道の雰囲気が好きなの」というからそこを通ってみた。

「隣町に樹齢100年の木があるから見に行こうよ」と言われたから歩いて行ってみた。

なくてもいいんだけど、でもなんとなく心動く方へと動いていたら、結果行って/あってよかったと思えることが重なって、旅の1日をつくっていてくれて、そしていつのまにか何度も思い返すような思い出になっていたりする。

実はそれは人生も同じで「やらなきゃいけないこと」も「みなきゃいけないこと」も本当はないけど、私たちは "それっぽいもの" を無意識で選んで毎日を重ねていたりするんじゃないかな、と思ったりする。


旅に出ると滞在時間が限られているから いつもより意識的に、ちゃんと自分で選んで1日をつくっていこうとするし、トラブルもサプライズもあるけれど「せっかく旅に来たのだから」と、予定が狂っても どう楽しく華麗に振り回されてみようかと頭をはたらかせる。

でも人間は人生になると、その "滞在時間" が限られてることを、そしてそれはほとんどの場合自分では選べないタイミングで強制終了されるということを日常生活では忘れてしまいがちで、意識的にその "滞在" をつくっていく感覚が薄くなってしまうことがあるんじゃないかな。少なくとも私はたまにそうなる。


今、ここ、地球の日本という国に旅をしにきてると思ったら私は何を見たいだろうか?何を体験したいだろうか?誰とどんなご飯を食べたいだろうか?

そうやって自分の意志で選んだ、お気に入りの思い出に溢れた旅になったら良いなと、私は思う。


「何を見たいか」を意識的に選べるということを思い出し、思い出をつくっていくこと。

それが私の思う「人生は旅だ」…かな!


image: madareli 


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