課題の分離ができない教員は要らない
課題の分離とは、アドラー心理学の理論の一つで、
何が相手の課題で、何が自分の課題なのかを分けて考えることである。
家庭や学校、職場では自他の課題が入り混じる場面が多く、それらを上手く分離して考えることができなかったり、間違った分離をしてしまうことでハレーションが起きてしまうことを多く目の当たりにしてきた。
教員にとって正しく『課題の分離』する力は非常に重要であり、同僚や子どもと互いに信頼し合える良い人間関係を構築することにつながる。
課題の主体とは、その結果による影響を最も受ける者である。
例えば『受験』という課題の為に勉強した場合、合格か不合格かという結果による影響を最も受ける者は、受験した子ども本人である。
だから、周りの大人が過度に、その子の学習に干渉し、結果をコントロールしようすることは、課題の分離ができておらず、ハレーションが生まれることとなる。
この場合、学習に関して何をどのぐらいやれば良いかなど、何でも周りの大人が指示してくれるので、本人は学習に対して主体性を失い、よくない結果を「私は言われた通り頑張っているのに、、、」と他人のせいにし、時に反抗的になり、意欲も低下していく。
それに対して周りの大人は「こんなにやってあげてるのに!」と怒り出す。
正に課題の分離ができていないことで生まれる悪影響の代表例だ。
この場合、学習に向き合い勉強するのは受験をする子どもの課題であり、周りの大人の課題は学習環境を整えたり、必要に応じて学習に関するアドバイスをすることであろう。
もちろん、このアドバイスも、最終的にどうするかは本人に考えさせないと他の課題への過度な干渉になってしまう。
「せっかく助言してあげてるのに、全然その通りやってないじゃないかっ!」は厳禁であるし、
逆に、「どうせ助言しても、その通りやらないんだから次からは放っておこうっ!」も違う。
あくまでも、相手との協力関係の上で相手が主体的に動けているかどうかを互いに注視しなければならない。
「これはあなたの課題だから、私には関係ありません」は、この『課題の分離』という理論から最も遠い考え方である。
このように『課題の分離』が互いに信頼し合える良い人間関係づくりの基本となる。
先輩教員の課題と若手教員の課題
現場の教員の課題と管理職の課題
担任の先生の課題と学級の子どもの課題
教員の課題と保護者の課題
過剰に干渉して、相手の課題まで奪ってしまってはないだろうか。
相手の課題を完全に切り離して考え、無関心になってしまってはないだろうか。
助けてもらったり、やってもらうことが当たり前になって、文句ばかり言ってしまってないだろうか。
お互いにしっかりと課題を分離し協力関係を築けているかどうか、ぜひ考えてみていただきたい。