馬にほころぶ蕾を愛でる
「昔に好きだった人が、競馬をきっかけに馬を好きになったって言っていたのを思い出したの。」
そう言って彼女は嬉しそうに土曜とか日曜とかを待っていた。同僚になって三年目、職場で最も仲が良くなった彼女が、そうして急にネットで馬券を買う様になって一か月経つ。
「なんだそれ、どうしてまた昔の好きな人とやらがきっかけ?」「感傷ってやつかな、」「感傷、ねえ。」
私は不織布のマスクの下、彼女の顔がいかにうつくしいかを知っていた。白く透き通る肌にぽつぽつしているそばかすが愛らしく、この不格好なコンビニの制服すらも、彼女が纏うとなんというか、得も言われぬ色気を感じさせるほどだった。
昼下がり、昼食ラッシュも過ぎればこのコンビニは途端に静かになる。私たちは手を動かしながらそうしてよく話した。仕事を長く続けられない彼女が、やっと馴染めたのがこの店であることも知っていた。夏になっても半そでの制服を着ないことの理由にも、察しはついている。
「あのね、浦和競馬に出てたんだけど、オウケンアマゾネスっていうお馬さんがいるの。」「…お、オーケン?」「おもしろい名前でしょ?」、そう言って彼女が目を細めて笑う。彼女は私が筋肉少女帯を好んで聴くことを、よく知っているのだ。
大槻 ケンヂ(おおつき ケンヂ、1966年2月6日 -)は、日本のロックミュージシャン、作家、シンガーソングライター、俳優。本名は大槻 賢二(おおつき けんじ)。愛称は、オーケン。(一部省略) 1982年2月、内田と共にロックバンド「筋肉少女帯」を結成—Wikipediaより
彼女がいったい、その感傷をどこから涌き起こして、何故に今更競馬に行きついたのかはよくわからない。
ただ、いつか「万馬券を当てたら回らないお寿司を食べに連れて行ってあげる」と言った彼女の約束が、果たされることを私は楽しみにしているのだ。
時々きっと壊れそうな夜を過ごして、それでも薬や刃物やらに逃げることを辞めて、翌日にはちゃんと出勤して来られる様になった彼女の毎日が、このまま穏やかに続いていくことを、私は心底願っている。
「…コロナ禍が終わったらさ、私も競馬場、連れて行ってよ。」
そう言うと彼女は、蕾がほころぶ様に笑った。
そんな彼女を見、私はひっそりと、彼女に「馬が好きだ」と話した遠い昔の男に、感謝したのだった。
☆
…ということがあったので、物語にしてみたしだいです。
テレビ埼玉のCMに出演しています。浦和競馬中継、テレ玉で見れますよー。