見る人に 物のあはれをしらすれば 月やこの世の鏡なるらむ
…と詠んだのは、かの崇徳院だ。
昨晩、というか今朝に日付が変わってすぐの頃、私はかなり久しぶりに過呼吸の発作を起こした。
私の場合はなんというか、呼吸の仕方がわからなくなる。ゲロを吐く寸前の猫みたいに荒くはぁはぁと言って、とにかくこのバグが通り過ぎてゆくのを待つ。
隣りで、泥酔した夫がぐうぐうといびきをかいている。私がこんなに盛大にはぁはぁ言っているのに気づかれない。否、気づかれたとて結局、どうにもならないのだ。ただただ苦しいだけの時間が終了するのを待つことしかできないのに、夫を起こしたとて迷惑がかかるだけなのだ。
胸の中をすぅっと絶望が風の様に走った時、なんとなく呼吸のテンポを掴めた気がして、同時に頭の中がふっと途切れる感覚を覚えた。気を、失ったのかも知れない。でも覚えているということは、単に私の電池が切れてシャットダウンしただけなのかも知れない。
そのまま私は、朝まで眠っていた。うすぼんやりと優しい夢を見た気がする。でも、内容までは覚えていない。
朝、ウェザーニュースのYoutubeチャンネルをつけたら、予報センターの爽やか担当(だと勝手に思っている)川畑さんが満月の話をしていた。川畑さんはよく「カミさん」の話をする。「カミさん」という響きは、なんだかとても愛に溢れている気がする。
布団から出る前に読んでいたとあるまとめサイトに「嫁が好きすぎて浮気しませんっていう奴がいるなんて信じられない」的なことを書いている人がいて、でも川畑さんの口にする「カミさん」に響きにはまったくそんなにおいはしないのにな、と、そんな風に感じながら川畑さんの(なぜか最近セットされていない風の)前髪を見つめた。
そういえば中学生くらいの頃、マイバースデイという毎月読んでいた雑誌に載っていた「満月テレパシー」というおまじないみたいなものを、満月のたんびにやっていたことを思い出す。
マークさんという男性だったろうか(うろ覚え)、占い師さんだったか職業はよく覚えていないけれど、そのマークさんが満月の夜にテレパシーを送ってくれるとかで、特定の時間帯に合わせて一緒にお祈りをすると、願いが叶い易くなる—そんな様な企画を毎月やっていたのだ。
「テストでいい点を取りたい」くらいの願いならば、叶ったことも、あったのかも知れない。
けれども当時の私の願いの大半なんて、自己承認欲求を満たす為だけの「彼氏が欲しい」だったと思うので、まあ、叶わなかったのだ。
でも今考えてみても、日本中の悩める少女たちが満月の夜いっせいに願い事をするというその様子は、オーケンの書く物語にでも出てきそうな、なんともオカルトめいた美しい儀式であるなあと、そんな風に感じさせられる。
たぶんマークさんに言わせてみれば(勝手に代弁するというか妄想するけれど)、仮に中学生時代の私に、せいぜい同級生の彼氏ができたとて、それが私の心を安心させてくれる要素になるかと言えば、そうでは無かったのだろう。つまりあの当時の私に必要なものはきっともっと別のもので、だからこそ「満月の力」は、私に彼氏をお与えにはならなかった。そういうことだ、たぶん。
だいたい、一生にたった一度のファーストキスを、中学を卒業すれば85パーセントくらいの割合でお別れしてしまうであろう彼氏に与えてしまうなんて、そんなのもったいなさすぎるわ—と、中学生当時の私に教えてあげたい。
そういうことをいちいち気にしなかったり、早熟な思い出に甘酸っぱさを抱いて大切にできる人ならば、それでいいのだ。でも中三の冬に父親を失ってどんどん闇堕ちしていく未来の決まっていた私に、三十五歳の私は、要らぬ傷をいちいち負わせたくない。
「重い」とかなんとか言われてあっという間に捨てられでもしたら、あの頃の私なら、従姉が中学生だった頃だかにそこで自殺をした人がいたという噂の在った、一階の女子トイレの一番奥の個室で、それこそ自殺でもしかねない。
あの当時はあれで良かったのだよ、と、マークさんもきっと仰ることだろう…たぶん、おそらくね。
そんなことをぼんやりと考える。
夕方のテレ玉の幽☆遊☆白書タイムで、私たちのCMが流れて嬉しかった。
「幽白の時に流れて嬉しい!」的なツイートを以前もしたので、もしかしたらテレ玉の中の人がそれを見ていてくれて、ご厚意でタイミングをはかって流してくださっているのかも知れない。
欲を言えば、というかこれはそもそも叶わぬ望みだったのだけれど、CM出演が決まるもっと前に放送が終了していた「カウボーイビバップ」のCMタイムに、自分たちのCMが流れる—というのが見てみたかった。また映画版だけでも再放送してくださって、その時にでも流れてくれたらすごーく嬉しい。ビバップはね、特別なの。
明日からとても忙しくなるので、これを書きながらB’zの「月光」を聴きながら、ビールを飲んでいる。
ビールって仕事運UPにつながる飲み物なのだと、開運飯で有名なボルサリーノ 関さんが仰っていた。
↑ これ、持ってるのだ。内容はすごくいいのだけれど、うちの夫が食べられるメニューが少ないのであまり作れていない…私が独り者だったら、ルーティンにしてぐるぐる回してずっと作って食べてたかも。私はあんまり好き嫌いが無いんだぜい。
多分、この十年間ほどで今が一番、メンタルが崩れている自覚がある。
でも正直「つらい」とか「しんどい」とか「もう嫌だ」とちゃんと感じられている自分のことは、いとおしい。
「頑張れ」とか「世の中には生きたい人もいるんだから」とか「あんたよりつらい人はもっといるんだから」とかそういうことを言われて、無理にプラス思考になろうとしていた頃より、素直に「ああ今自分はつらいんだ」と実感できている今の方が、私自身にとって逆に健康的であるに違いない。
本当はつらいのに、つらいと思うことすら躊躇われて、無理に元気になろうとして—そうして、心が痛みを感じることを拒否してしまって、結果、心の不感症みたいになっていくことは、さすがにもう避けたいのだ。
パパが死んでつらかったのに悲しむ時間も与えられなかったとか、ママがよその男の人を連れてきたことがイヤだったとか、けれどそれらを私は拒めずに受け入れて我慢して、その歪みが私をおかしくして、まともな人間関係を築けなくなって。
痛みは、ちゃんと感じておかないと心を壊す。麻痺した心は喜びも感じられなくなる。注がれた愛情のぬくもりにも気づかず、ただぽっかりと、欠けた部分の虚ろさばかりを味わわせようとする。
今からでも遅くないならば私は、ちゃんと自分の痛みに正直になりたい。
お月様に願いを告げられるなら、私は「感じられる心が欲しい」。
さみしいのならさみしいと、きちんと泣ける私になりたい。
テレ玉のCMに出演中です。「2」の方が見れたらレアかも??
うちのバンドの最新動画はこちらです。動画作成ソフト買ったらえらいラク。わーい。
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