「香・大賞」応募作品:遠い香りよ、
埼玉に住んで十年ほど経つ。それでも今も道ばたの街路樹に、ハマナスの花を探してしまう。
遠い北国にある私の故郷では、当たり前の様にハマナスが身近にあった。調べてみたら生息地の南限が埼玉まで届かないらしい。だから見つからないのか、と納得しつつ、なんだか寂しい。
北国の短い夏、ハマナスは目を喜ばす花を咲かす。脆い花びらを潰してしまわぬよう、そおっと鼻に当てると、なんとも瑞々しく爽やかで、それでいてしとやかな—そんな香りが、少女だった私の鼻腔を漂った。
夏を終えてしまうと、秋はあっという間に街をひんやりさせてゆく。そしてそのまま、冬に向かって一直線。雪が積もってしまえば、人々は長い冬に閉じ込められる。
ハマナスは、そんな北国の夏を彩るうつくしい花だった。
母親とうまくいかなくなって、私は故郷を出た。
それはつまり、母子家庭に育った私には、帰る故郷を失くす行為だった。
今でこそ社会的にも、親子といえどどうしてもうまくいかない関係が存在することが認知されてきたけれど、実際に「母と疎遠だ」と伝えると、眉をしかめる人もまだ多い。
私は苦笑いしながら、それをやり過ごしてきたのだ。
「なんていい香り!」と言いながらハマナスの花に顔を寄せていた、優しかった日の母との記憶がーふいに、頭をよぎることもある。
…ああ、そういえば埼玉ではハマナスが見つからない。
でも丁度いいのかもしれない。私はきっと、あの花の香りを嗅いでしまったらー泣いてしまうに、違いないのだから。
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