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罪悪感というベール①

少し前に、

あーやっちまったー 

と思うことがあった



胸の中が疼き、何をしていてもソワソワして落ち着かない

しばらく、そのことが頭から離れなかった



いつものように、自分の中に巻き起こっているざわめきを見つめてみる



どう思われたかな・・

どうして私はいつもこうなんだろう?




後悔という自分責めをしている私を見つめる



掘り下げていくうちに行き着くのは


罪悪感


Hello again…







罪悪感は、人をそこに立ち止まらせ、その先に進むことを阻む

内に内に深く入り込み、時間が経てば経つほど巨大化し、内側から蝕んでいく

時が癒してくれるような代物ではない



思うに、罪悪感って人をもっとも破滅に追い込む感情なのではないだろうか


最初は怒りや悲しみからはじまったかもしれないけれど、

それが癒やされずにどんどん内側で肥大化するうちに

それはいつしか罪悪感へと変わり

自分を責め、否定し、破滅へと追いやろうとする




タイムラインセラピーでは、ネガティブな感情を解放するとき

感情にはそれぞれ解放する順番がある



怒り→悲しみ→恐れ→罪悪感



これは、エネルギーワークをする中で体験的に知っていたので、

学科で学んだ時に、なるほどやはりと思った


このしぶとい罪悪感とは、一体なんだろう?




そう思ったら、罪悪感という感情エネルギーに俄然興味が湧いてきた



まずひとつ気づいたのは、

罪悪感とは、

自分で物事をコントロールできると思っているが故に起こる感情であるということ



もっと◯◯することが出来たのに(しなかった)

ああしなければよかった(のにしてしまった)

という後悔を伴うけれど、それは裏を返すと、

◯◯しておけばうまくいったはずなのに

トラブルを回避できたであろうに

という思いがある



だからこそ、そうしなかった自分を、自分の選択を、

間違いだ、失敗だと責め立てる


つまりそれは、

自分の選択次第で状況をコントロールできたはずだ

というビリーフ(信念)があったからに他ならない

けれど、

コントロールできることなんて、本当は何一つない



こんなことを言うと、

スピリチュアルに生きるって、自分軸で生きるんでしょ?

創造主として夢を実現していくんじゃないの?


と、一見矛盾しているように聞こえるかもしれない



これは、見る視点の違い


小さな私(エゴ、マインド)の視点で見るか

大きなわたし(宇宙、スピリット)の視点で見るか


ああすればよかった、こうすればよかった

状況をコントロールすることができる

状況を思うようにコントロールできない自分を許せない


そう思っているのはどっちだろう?


無論、小さな私だよね


大きなわたしは、何一つ間違いだとは思っていないし、

それどころか、

イエイ!成長のチャンス!!と大歓迎している

言わずもがな、ああすればよかった的な後悔なんて皆無だ


一方、エゴの小さな私は、

コントロールすることが自分の存在意義だと思っているので、

コントロールを手放すなんて、まずありえない


コントロールしないと大変なことになるぞ

常にもっともらしいことを引き合いに出して囁きかけてくる

罪悪感も同じ

だからお前はダメなんだ

もっと考えて(思考を使って)、うまく対処しなければいけなかったんだ


こういう心の状態になっている時、

セルフ内観ではなかなか楽になることは難しいように思う


その時に、これを思い出してみてはどうだろう


コントロールできることなんて、本当は何一つない



コントロールできることがなかったら、

いくらか肩の荷が降りるんじゃないかな


そうそう、全て幻想だったんだっけ・・・って




そして不思議なことに、

小さな私がコントロールを手放した時、

あるがままの大きなわたしの望みと調和して

魔法のようにパズルがはまり始める

小さな私が思ってもみなかった形で


次回は、罪悪感についての更なる気づきを書いてみたいと思います


今日も最後までお読みいただきありがとうございました



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