なんでこんなに関西から離れたくないんだろう?
こんにちは。taka3です。
現在京都在住の大学院生で、来年度からデザイナーとして働く予定です。
出身は長野ですが、関西に憧れを持って京都にある大学に進学し、住んでからもかなり愛着を持っていたため、関西での就職を検討していました。
ただ、やりたいことを優先するとなると、東京就職が現実味を増しており、既に寂しさが募っています。
どれだけ寂しいかというと、
阪急電車に揺られ、「ここに居れるのもあと少しか...」と思いを巡らせていたら、自然と涙が出てきたんです。正直私は何かに心を揺さぶられ涙が出るということが少ないので、自分でも驚きでした。
なんでこんなに関西が好きなのか、これまでなかなか言葉にできなかったのですが、個人的に納得のいく仮説ができたので、noteにまとめてみました。
結論から言うと、
というものです。
なんのこっちゃだと思うので、もうちょっとざっくり表現すると
というのが今回の趣旨で、
本noteはそれをユングの理論や河合隼雄の発言などを参照して説明しようという試みになります。
母性原理とは?
関西はその母性原理とやらと親和性があるってどういう意味?
喪失した”母なる存在”の埋め合わせが起こったのはなぜか?
だいたいこんな流れで論じてみます。
父性原理と母性原理
河合隼雄『母性社会日本の病理』(中央公論新社, 1976)にある記述をほぼ引用します。こちらのnoteやこちらの文章がわかりやすくまとまっていたので、必要に応じてご覧ください
ちなみに母性原理は女性が持つもの、父性原理は男性が持つもの、という受け取られ方をされがちですが、あくまでもメタファー(隠喩;たとえ)であると捉えるのが適切でしょう。
関西という土地柄が母性原理と親和性がある
というのが私の仮説です。
※これは自分でたどり着いたつもりですが、先行研究や文献がありそうな気がしていて、ぜひ教えてほしいです!
まず、関西弁の特徴を以下のnote(河合隼雄さんと「関西弁力」に迫る)をもとに述べていきます。
東京は、日本の首都として国家の中枢機関や企業の本社が集結しており、ピラミッドの頂点としての役割があります。合理的な判断が特に重視されます。
標準語は、関西出身の知り合い曰く、「なんかかしこまった感じで構えてしまう」「アナウンサーみたい」と違和感があるようです。
標準語は整った表現で使いやすい。ただ、人の心(身体とも言えそう)から切り離され、つくりごとのように感じてしまう。
それに対して、河合さんは関西弁について、ニュアンスで「まあるくする」力、わたしとあなたの「境界をなくす」力、切れたものを「繋げる」力
などがあると分析していて、これは先に紹介した母性原理に近いものを感じます。そう考えると標準語は父性原理のように見えてきます。まあおそらく河合さん自身もこの辺の理論を意識しての発言に思えます。
倒産を「倒産」と表現せず「しんどい会社」と表現していたエピソードを紹介しています。
他にも「知らんけど」が典型的で、責任の所在を曖昧にする機能が関西弁にはあるのでしょう。
また、関西弁が東京にも進出している背景について以下のように述べています。
関西弁は曖昧さや繋がりを残しており、身体に非常に馴染みやすいと推察されます。関西という土地柄がこういった曖昧さや繋がりを大事にする文化を有しており、それが方言に反映されていると解釈しても無理ないんじゃないでしょうか。
母性原理の環境で育ってきた私自身の背景
私は男3人兄弟の末っ子です。両親は3人目ということもあり、幼稚園はこういうところ、小学校ではこの準備をしなきゃ、と様子もわかっていて、先回りができるほど手慣れていて、そこに沿って安心安全に育っていく環境でした。そもそも両親は子育てを大事にしていた、というかなり恵まれた環境で育ちました。
また、兄という身近なお手本がいて、「こうしたらうまくいく」「こうしたら怒られる」みたいなことを学習する場がありました。
そんな感じで、包み込まれる環境、まさに母性原理が働く家庭環境で育ちました。(実際父親は厳格というより優しい人で、むしろ母親の方が強い印象だったので、文字通り母性的な環境でした。)
そもそも日本人という時点で母性原理に従う特徴を持っていると言えます。日本人が母性原理の特徴を持つことを河合隼雄らが指摘しており、土居健郎が提唱した「甘え」の構造が日本人の性質として世界的に知られています。
<tips>
なぜ日本人が母性原理なのかについては、日本が自然災害に身近な国であることが関連していると推測できます。自然は生命を生み出し破壊もする、生死を司るということで、母性と親和性があります。「母なる大地」という言葉や、英語でnatureやearthの代名詞を"she"で受けるのにもこういった背景があるのでしょう。
関西という母性原理に呑み込まれる
中高生になり、少なからず反抗期が来ました。自律したい気持ちと依存したい気持ちで揺れる、青年期あるあるのアンビバレントな状態でした。
そんな中で、大学生になるにあたって一人暮らしを始めました。数日ホームシックになりましたが、自由を手に入れた喜びが大きく、すぐに一人暮らしに馴染めました。
ここで、「数日ホームシックになったが、すぐに一人暮らしに馴染めた」背景には、もちろん自由を手にした喜びや知り合いもぼちぼちできてきたことなどもあります。
しかし、関西や関西人に憧れを含んだ愛着が既にあり、そこまで抵抗を感じなかったことも数日のホームシックで終わった理由として考えられます。
そしてこれが、現在関西に半ば依存的な愛着を持っていることから推察して、一人暮らしで喪失した"母なる存在"を関西という土壌が埋め合わせたのではないかという考えに至ります。
ちなみに、
今後どうしていくか
一人暮らしを5年以上続けて、見た感じ自律していますが、"母なる存在"としての関西という土地柄に、いわば呑み込まれてしまっているようです。その結果、「関西を離れたくない」というある種の依存の気持ちが強いのだと考えます。
おそらく私の心的特徴として、常に"母なる存在"をどこかに求めて生きていくことになりそうです。就職して関西を離れるのが、成熟した大人になるための一歩になるのかなと考えつつ、寂しい気持ちがあり、まさに葛藤しています。
まとめ
なぜ関西人でもない私がこんなにも関西から離れたくないのかについて考察しました。
3人兄弟の末っ子、恵まれた家庭環境に育った中で、自立を求め親元を離れることに。大学生とはいえ、まだ未熟な私にとって、それまで家族が担っていた"母なる存在"(母性原理)を関西という土壌が補完する役割を果たしていた、という考察でした。
感想、ご意見、フィードバックなんでもお待ちしています!!