見出し画像

This Too Shall Pass

6年間と4ヶ月。彼は、私の一生において、家族の次に長く濃い時間を過ごし、家族以上に私の人生にいなくてはならない人だった。「私の人生は、彼に出会って始まった」とも思える関係だった。彼がいた「これまで」と、彼がいなくなった「今」は、キリスト誕生の前と後を指す、A.D.とB.C.と同じくらい違う。

別れ、が決定的になったその夜、三軒茶屋の街を歩いた。部屋にはあまりのたくさんの思い出がありすぎて、居られなかった。でもどこを歩いても、どこを見ても、どの交差点も、どのお店も、全部彼との思い出があった。

三茶だけじゃない。出会って間もない頃通った札幌、凍った地面に慣れなくて転んだ薬屋の前の交差点。寒い朝、パンを買いに行ったボストンベーカリー。初めて二人っきりで話したSmithのベンチ。初めて愛してるといわれた丸の内線。いまはもうなくなってしまった表参道のカフェデプレ。よく通った餃子やさん。バワリーキッチンのオムライス。うちの隣のオリジン弁当。一緒に居た場所だけじゃなくてもあらゆるところに彼との思い出がある。彼がくれたブレスレットをお守りにして行ったバグダッド。彼が楽しそうにイタリア人と友達になったんだと国際電話で話してくれたイタリアの海岸沿いの町、チンケテッレ。パリの街も、ニューヨークも、湯布院のお風呂も、真冬のボストンも、ソウルもモスクワも、あきる野も、綱島も、成城も、駒場も。もう引っ越せる場所がないくらい、どこもかしこも、彼のことを思い出させる。

This Too Shall Pass. アメリカ人の親友Nicolが、私が彼とのことで涙を流す度に言ってくれた言葉。「いつかはこの痛みも消え去る」

痛みは確かに去るのかもしれない。そしてこんなに泣いたことを笑って思い出す日もくるのだろう。

でも今は、その痛みさえ、去って欲しくないと思う。彼がいなくなった今、痛みさえなくなったら、私には何も残らない。

彼にも、彼を知る人にも知って欲しかった。彼という存在が、どれだけ私の人生をすごいものにしてくれたか。私にどれだけの希望と夢と安心を与えてくれたのか。

もちろん、つらいことも悲しいこともすごくたくさんあった。私を一番傷つけたのも彼だし、もう誰も信じないと思ったこともある。まわりの人に常に反対され、もっといい人がいるよ、とずっと言われてきた。でも私の心に迷いはなかったし、後悔はみじんもない。彼なしの人生がどういうものなのか、想像はつかない。彼なしで生きていけるのか。彼は私がいなくて大丈夫なのだろうか。

彼からもらった手紙。喧嘩する度に何回も何回も読み直したから、封筒はもう破れてしまった。不安になると読み返した。仕事で自分に自信がなくなると読み返して、勇気をもらった。

こんなに愛されることはもうないんじゃないか。こんなに誰かを愛することはもうないんじゃないか。あのときの彼の不安が、いまそのまま私の心の中にある。

彼からもらった指輪。母親は気づいているみたいだけど、彼と喧嘩するたび私はその指輪をはずした。でも、喧嘩中でも、海外に行くときだけは、指輪を左手の薬指にして行った。飛行機が落ちて、焼け焦げた私の左手に彼の指輪がなかったら、彼が悲しむと思ったからだった。そうやって、私の心は常に彼がいる場所にあった。どんなに他の人と会ってみても、どんな人と出かけても、彼の存在が心から離れることはなかった。

部屋の壁にある傷。彼と喧嘩して、ワイングラスを投げてできた傷だ。ワイングラスは、一番下の土台の部分が硬いから、お皿のようにきれいには割れない。

喧嘩は本当にたくさんした。アメリカを縦断した旅行で、彼が2000マイルも運転しているのに(東京⇒NY間が6500マイルだからすごい距離だ)私が地図さえ読めずにいるから、車の中が超険悪だったり(その後、あまりにすごい豪雨が降って、あまりの恐怖に笑って仲直りしたけど)、コーヒーをどっちが入れるで喧嘩したり、妹の結婚式で行ったマウイでも喧嘩した。くだらない喧嘩も多かったけど、結構しんどい喧嘩もたくさんした。

これまでの人生でこんなに私が怒りを覚えた人はいなかったし、それは彼も同じだと思う。愛情が深い分、怒りも大きいのだろうか。誰かに対してこんなに怒ることはこれからあるのだろうか。

彼は、私のお父さんをとても好きでいてくれた。そしてお父さんも、彼のことをすごく好きでいてくれた。私のことを大切にしてくれてるから好きだったのか、ただ人として好きだったのか。多分後者だと思う。彼のちょっとぶっきらぼうで、不器用で、頑固なところが、自分と似ていると思ったのかもしれない。彼は、父が昔エッセイで書いた「一緒に住む男」の10カ条にあてはまった。「一人遊びが得意」「小難しい本が好き」「あまり友達は多くない」

私と彼の関係は、父と母の関係に少し似ていたと思う。
父は母がいないとあまりしゃべらない。その代わり、母がいるとすごくおしゃべりになる。
母が父の友達何十人分の存在なように、私は彼にとって一番の親友でありたかった。

彼は、私の家族にとって、すごく大切な存在だった。うちの犬も彼と選んだ犬だし、父が車を選ぶときも相談に乗ってもらった。おばあちゃんも、おじさんも、従兄弟たちも、美容師さんも、日本の親友たちも、アメリカの親友たちも、みんな彼のことを好きだった。祖母は、彼を合わせてからは、「いい人に会えてほんとうによかったねえ」が口癖になっていた。Nicolなんかは、私を泣かせた彼、と言いながらも、彼と二人でカレーや、とんかつなんかを食べに行ったりしてた。お母さんも、彼はもっとしっかりしないとダメね、と言いながら、ディズニーランドに行ったら、彼用って言ってミッキーのTシャツなんかを買ってきたりしてた。妹も、妹の旦那も、そのご両親も、旦那のおばあちゃんまで、彼に会った。父に至っては、私を食事に誘うとき、必ず、彼は来れないの?と聞く。私より、彼に会いたいんじゃないかと思うほどだった。

だから、父や母を含めて、そういう人たちのことを考えると、やっぱり、彼が私の人生の一部でなくなることは、大変なことだ。まるで天と地がひっくり返るぐらい、大変なこと。

This Too Shall Pass
これからどうしていけばいいのかなんてわからない。実感は沸かないし、まだ余裕で1ヶ月後にはまた元通り、と思う自分がいる。

別れの原因は、あるようでないし、ないようである。そばにいたいという気持ちと、別れたほうがお互いのためなんじゃないかという気持ちのぶつかり合い。他の人を好きになったとか、彼を嫌いになったとか、そういうことではないし、彼に関してもそうではない(と彼は言っている)。こんなに傷つけあうことがいいこととは思えない、健全なわけがない、というのが彼の主張だった。彼は、「君の心がずたずたになるのを見ていられない」と言った。私は別れたくなかったし、別れられるとも思っていなかった。彼が私の存在を永遠に感じていたように、私も、彼が自分を手離せるとは思っていなかった。

彼は私の恋人であり、一番の親友だった。生まれて初めて愛した人。
この人のことを愛していこうと思ったのは、意外にも、出会って間もない頃だった。
彼は「人を本当に好きになったことなんてないな」と言った。私はその瞬間、この人に「人を本当に好きになる気持ち」をわかってほしいと思った。

出会ったばかりのころ、彼は眠るとき、いつも腕を組んで眉間に皺を寄せて眠った。
腕をほぐそうとしても、すごい力で組んだままだった。小さい頃、あまり幸せな思い出に囲まれなかった彼なりの「守りの態勢」なんだと思った。いつかもっと安らかな顔で眠ってほしいと心から思った。そしてそのとき隣に眠っていたいと思った。

彼の隣に、私ではない人がいるかもしれない未来。
考えるだけで涙がでてくる。どうすればいいのかなんてわからない。
ただただ、いやだな、と思う。

なんとなくわかるのは、くよくよしていてもしょうがない。彼との6年4ヶ月は、一秒一秒、生きてるという実感があった。彼がそばにいるとすぐ眠くなる安心感も、グラスを投げつけるほどの怒りも、彼の胸にぴったり合う私の頭も、息ができないくらい流した涙も、すべて。彼のことを一生懸命に愛したという気持ち、これからも愛し続けるという気持ち。それを大切に、バネにしていくしかない。他の人を愛せるかなんてわからない。愛せないかもしれないし、意外にケロッと、出会ってしまうものなのかもしれない。

いずれにしても、私の気持ちに嘘はなかったし、自分の発した言葉、行動、すべてが彼を思う気持ちだった。それを彼にもわかっていてほしいし、彼を知る人たちにもわかってほしいと思って書きました。

この物語に続きがあるのかどうか。
それは、私も彼も、2人がそれぞれ、心の向かうままに生きた結果次第。

終わり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?