記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

そっくりさんと『人生を語らず』


エヴァを観てきた。その中で特に気になって、演出が上手いなと思った部分があったので書いてみようと思う。もう誰かが書いているかもしれないが。


あらすじは割愛する。第三村で心身喪失したシンジが出会うのが、鈴原トウジである。彼はかつての委員長と結ばれ、子供を設けている。そのトウジが委員長、そして娘のつばめがいる家に帰ってくるときに口ずさんでいる歌がそう、吉田拓郎の「人生を語らず」なのである。

この曲の歌い出しは『朝日が昇るから起きるんじゃなくて 目覚める時だから旅をする』である。そしてその後『教えられるものに別れを告げて 届かないものを身近に感じて』と続く。
これは、第3村で過ごしたアヤナミレイ、もといそっくりさんのことをこれ以上ないほど正しく描く歌詞だ。

そっくりさんは初め、『仕事だから』田植えをしていた。『頼まれたから』つばめの世話をしていた。しかし、そっくりさんが綾波レイとなり消えるシーンはどうだ。「稲刈りしたかった」「つばめをおんぶしたかった」と明確に自らの意思を示している。これはそっくりさんの、意思とは関係なく行っていた『行動』が『欲求』へ昇華された瞬間である。
ここで人生を語らずの歌詞に当てはめてみる。朝日が昇るから起きるんじゃなくて 目覚める時だから旅をする=義務だから行うのではなく、やりたいことだからやる。これはそっくりさんの行動もとい感情をそのままなぞっている。そっくりさんの「○○したかった」という言葉は紛れもなくそっくりさんに心が芽生えそれが欲求になったことを明確に示している。

そしてそれは次に『教えられるものに別れを告げて 届かないものを身近に感じて』という歌詞に続いていく。
教えられるもの、それはつまり言葉や仕事。得た、あるいは得るはずだった知識である。そっくりさんが教えられて、そしてこれからも学んでゆくことに別れを告げる、つまり何も得ることができない死を意味しているのだ。別れを告げる、というのもまたうまくできていて、そっくりさんが委員長に最後に書き置きしたメモには「さようなら」が最後に書かれていた。ここで、またしても明らかに別れを告げているのだ。この歌詞が偶然の一致であるはずがない。明らかに狙っている。
そうして最後に、『届かないものを身近に感じて』である。届かないもの、それはそっくりさんが死の間際にシンジに語った少ない言葉なのではないだろうか。稲刈り、つばめ、そして碇シンジという存在。身近にあったものが、今となっては届かない。ここの解釈は少し難しいが、そっくりさんはそれらのことを、それだけ身近に感じていたのだと思うのが妥当だ。

こう見ると、そっくりさんの死は第三村にやってきた時、特に鈴原トウジと出会ったシーンから明らかに示唆されているのだ。いや、ネルフ以外で生きられないとするそっくりさんが死の運命を辿るのは確かなことなのだが。それでもこの曲をトウジが歌った時に、そっくりさんは死を確実にされていたはずだ。
少なくとも私はそう考えている。そうでなければあのシーンにわざわざ人生を語らずを持ってくる必要性は何一つ無いのだ。それにしてもこんなの原曲知らないとわからないですよ。

いいなと思ったら応援しよう!