見出し画像

縦糸と横糸

先週の8月29日30日の2日間で、
管理職全員で鹿児島県まで
研修旅行に行ってきました。
目的地は知覧と鹿屋です。
知覧は旧帝国陸軍、
鹿屋は旧帝国海軍の基地があったところで、
大東亜戦争の末期には、
いずれも特攻隊の出撃基地になっていた場所です。
自爆攻撃ですから飛び立ったら最後、
生きて帰還することは叶いません。
知覧や鹿屋には、出撃された隊員たちの御遺影と、
大切な人に向けて書かれた遺書が
展示されています。

また、今回の旅の宿には、
隊員たちが最後の時間を過ごした富屋食堂
(現在は改装されて富屋旅館となっています)
を選びました。
特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんから
志を受け継いだ3代目の女将さんから、
当時の隊員たちの様子や
今を生きる私たちが心すべき様々なことを
勉強させて頂きました。

今回の旅の目的は、彼ら英霊たちの生き様から、
死生観や命の使い方について考えることでした。
有り難いことに私たちは平和な時代に生を受け、
結婚相手や仕事はもちろんのこと、
国籍やさらには性別までもが
自由に選択できる時代になりつつあります。
確かに人間にとって自由は尊いものです。
何人もその尊厳を侵すことは許されません。

一方、ともすると
自由という言葉が独り歩きをして
「わがまま」や「自分勝手」になってしまっている
部分もあるのでは…とも思います。
人間として美しい生き方とは、
いったいどのようなものでしょうか?

例えば、両親や祖父母、
そのまた両親といった祖先から、
子や孫やひ孫といった子々孫々までを
縦の繋がり(縦糸)とし、
同じ時代を生きる友人や同僚、
上司部下、お客様やパートナーズなどを
横の繋がり(横糸)とします。
この縦糸と横糸が交わる点に
自分を見出す事ができます。
縦糸と横糸、
2つの糸が交差する点を見つめることで、
そから自分という存在が果たすべき役割、
もっと言えば自分にしか果たせない使命が
自然と浮かび上がってくるのでは
ないでしょうか。

例えば私なら、両親や祖父母、
そのまた両親とそのまた両親たち…が、
人生をかけて守ってきた桶庄という会社の
世継ぎとしてこの世に生を受けました。
まだ次の世代はいませんが、
これが私にとっての縦糸です。
同時に、皆さんをはじめとした従業員や
その大切なご家族の皆さん、
さらにはお客様やパートナーズ…といった
同時代を生きる大切な人間関係も存在します。
これが私にとっての横糸です。
この縦糸と横糸のクロスする一点を
静かな目で見つめると、
私という存在が今回の人生で果たすべき役割、
つまり使命が自然と見えてきます。

自由という言葉は甘美な響きを持っています。
世間は自由を謳歌する人の情報で溢れています。
しかしそれらに流され、惑わされ、
自分が何をしたいのか見つからずに
フワフワと生きている人も
少なくないように見受けられます。
そんな中、
自分の使命がはっきりしているという点で
私は恵まれていると感じています。
みなさんの命の使い道はいかがでしょうか?

今週も幸せの種を蒔きましょう。
私たちの周りにいてくれる大切な人が
幸せであり続けますように。