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海はどこにある?
みなさん明けましておめでとうございます。
昨年は公私問わず本当にいろんな事がありましたが、
ありがたいことにこうしてまた
新しい年を迎えることができました。
いつもながら、
皆さんのご理解とご協力に感謝いたします。
本年もよろしくお願いいたします。
年頭にあたって、
改めて「ありがとう」という言葉について
考えてみたいと思います。
「ありがとう」は漢字では
「有り難う」と書きます。
辞書を引いてみると
「めったにないこと」
「まれなこと」という意味が出てきます。
更に調べてみると、
もともとは『法句経(ほっくきょう)』という
お経の中に出てくる仏教用語が語源だそうです。
原文では
「ひとの生をうくるはかたく、
死すべきものの、生命あるもありがたし」
現代語にすると
「人として生を得るというのは稀有なことであり、
やがて死すべき存在が
今こうして生きているのは奇跡である」
というような意味でしょう。
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今日こうしてみんなが揃って
新しい一年のスタートを切ることができるのも、
決して当たり前ではなく、
有り難いことなんですね。
毎日をこのような気持ちで過ごせたなら
きっと素敵でしょう。
しかし、生きていく中では
日々のあらゆることが当たり前になっていきます。
例えば、
毎日三食を食べられるのが当たり前になっています。
ともすると美味しくないと文句を言ってみたり、
欲張って結局残してしまったり。
私もそんな一人です。
他にも、仕事があって当たり前。
健康でいることも当たり前。
家族や友人がいるのも当たり前だし、
毎朝目が覚めるのも当たり前。
でも本当にそうでしょうか?
人生には様々な節目があります。
一年にも二十四節気などの節目があります。
同様に一日の中でも節目があります。
世の中が変わって、
いろいろなものが便利になって、
季節や時刻の移ろいを感じる機会は
少なくなりました。
先人たちがどのような思いで
節目を作った(見つけた?)のかはわかりませんが、
このような節目を意識して、
原点に立ち返る時間にすることは
意味があるのではないでしょうか。
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小さい頃、魚が海を探す旅に出る…
という寓話を読んだことがあります。
小さな体で一生懸命に探し回るのですが、
どこにも海は見あたりません。
ボロボロになるまで探し回って、
最期の最期で気づくのです。
自分がずっと海の中にいたことに。
幸せも似たようなものかもしれません。
私たちは魚ではなく人間ですから
もっと早く気づきたいものです。
この令和7年が
みなさんにとって幸せな年でありますように。
今週も当たり前のことに感謝しながら、
末広がりの明るい未来を見据えて、
2度とない「いま・ここ・わたし」を
大切に生きましょう。
この1年の先に、
あなたはどんな未来を描いていますか?
明日のために今日、幸せの種を蒔こう。