David(Michelangelo)との出会い
イタリア旅行してきました。宿泊はローマだったんですが、2日目はフィレンツェにも。
旅行の前は、大学のテスト週間(レポート地獄)(前日までレポート書いてた)とサークルの撮影があって、本当に予習何もせず、何が見れるのかどこに行くのか何もわからずとりあえず荷造り…って感じで。アテネの学堂、、の本物見れるらしい?くらいしかわからなかった。
2日目。朝5時半起きで、ローマから1時間半くらいかけてフィレンツェへ。その前も色々あったけど、それは省いて省いて、アカデミア美術館に到着。その前にウフィツィ美術館に行ったから足も痛いし、😐みたいな顔で入場。
(何があるんだろ、同じようなやつばっかじゃん。なんやねん、なんやねん…。)と思いながら徘徊。
そしてなんとなーく角を曲がったら
これ。
ちょっと、本当に写真じゃ伝わらない。ほんっっっっっっとにカッコ良すぎて、「んえ?」って声出た。その後も「かっこいい、かっこよすぎじゃない?ねえ、カッコ良すぎじゃない?」ってずっと言ってた。
知らなかったからだけどさ、不意打ちに角曲がって、これだったら、もう、普通におかしいじゃん。本当に息を飲んだよね。
旧約聖書の登場人物、イスラエル王ダヴィデ。敵国ペリシテ軍の巨人ゴリアテとの戦いの際のダヴィデがモデル。鎧を外して石だけを持って、ゴリアテに挑むダヴィデ。
ちょっっっっともう……………だめ………………(やかましい)
一番はさ、まず、展示の仕方。奴隷のギャラリーの廊下を進んで、ダビデのトリブーナ。光の入り方。
もともとは、ドゥオーモ大聖堂の中に飾られるものだったけど、色々な理由で変更。どこに飾るべきかをダヴィンチやボッティチェリなどが話し合い。結局ミケランジェロの要望でヴェッキオ宮殿の前におくことになるが、ミケランジェロの生誕400年を記念して、アカデミア美術館に移動。ちなみに、この天窓は、ダヴィデ像が美しく見える様に、綿密に採光を計算した上で設計されているらしい。ドゥオーモ大聖堂の西側ファサードをデザインした建築家エミリオ・デ・ファブリスが19世紀に手がけたもの。
だよねえだよねえ。考えられてるんだあこれ。
はーーー。
そしてなんといっても、ダヴィデの背後には椅子があって、座りながらダヴィデの後ろ姿をゆっくり観察できる。みんな疲れて椅子に座ってるようにも見えるけど、ちゃんとダヴィデ像を指差しながら、ダヴィデ像を見つめながら話してるのも良かった。
もう言葉になりません。近めの写真を2枚。
このほかに、ミケランジェロ広場とヴェッキオ宮殿の前にレプリカが飾られてる。けど、本物本当にやばい。
この彫刻の話から少しそれるけど。階段下のゴッホっていうドラマの中で、主人公が赤い絵の前で立ち止まるシーンがあって。私そんなに忘れられないみたいな作品に出会ったことないかもしれない、と思ってた。このダヴィデ像は、彫刻だし、大きいし、現代アートみたいに考えさせられるようなものでも無いけれど、角を曲がって、私が息を飲んで、そこで湧き出た感情は確かに本物だし、大事にしたい。と思いました。
死ぬまでにもう一回くらいは行きたいな。
おしまい。