「親しき仲に "こそ" 礼儀あり」 なのではないか?
「親しき仲 "にも" 礼儀あり」なんて言葉があるが、本当にそれで良いのだろうか?
超内向型、マイワールドの申し子である筆者は「親しき仲に "こそ" 礼儀あり」、つまり親しく、本当に大事だと思っている人にこそ礼儀を欠くことなく接したいと常々思っている。
そう思う理由
「親しき仲 "にも" 礼儀あり」、これはおそらく親しい人、身近な人だからこそ「このくらいは許してもらえるだろう」という気の緩みや甘えが出てしまうことへの戒めの言葉であろう。
さらに勝手に深掘りして推測するに、「にも」と言うくらいなので、この言葉の対象となる人は「親しく "ない" 人」には礼儀を尽くしているのかもしれない。
しかしながら、「親しく "ない" 人」には礼儀を尽くす必要なんてあるのだろうか?
勿論、人として、大人として、他者に対する礼儀は最低限必要であることは筆者もよくわかっている。
でも、「礼儀を "尽くす" 」、そこまでする必要はないのではないか?
筆者にとって「親しい人」=「大切な人」である。
だからこそ、親しい人は大切にしたい。
自分が礼儀を欠くことで相手に不快な思いをさせたくない。
怒らせたり、悲しませたりしたくない。
このようなことが原因で、その「親しい人」が自らの元を去って行ってしまう、自分のことを諦めてしまう。これほど大きな損失が他にあるだろうか。
だからこそ親しい人、身近な人、大切な人にほど、礼儀を通し、真摯に接したいと筆者は強く思うのだ。
具体的な事例
以前、こんな事があった。
筆者の20年来の友人はドタキャン魔だった。
頻繁に会っていた頃から、数年に一度程度しか会えなくなった近年まで、彼女はドタキャンを繰り返した。
おそらく筆者ならば許してくれるだろうという甘えがあったのかもしれない。
確かに許した。何度も何度も許した。20年近く許し続けてきたが、ついに筆者は何も言わずに彼女の元を去った。
彼女の「親しき仲での礼儀を欠く態度」に、筆者はついにギブアップしたのだ。
人は、誰かの元を去る際に何も告げないことがある。そんなことは、わりと往々にして起こっている。去られた方が気がつかないだけで。
筆者は、筆者の大切な人たちにこんなふうに自分の元を去って欲しくない。
だからこそ、相手のことを最大限に尊重し、大切にしたいと思っている。
結論
親しき人、大切な人、だからこそ礼儀を持って大切にしていきたい。
(984文字 24分)
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