遠足へ行った翌日の1時間目、総合の時間に書く昨日の感想文。見学したスポーツ飲料の工場を見てどう思ったか、何を学んだか。その後行った森林公園で友達とどのように過ごし、何が楽しかったのか。20行目までは書いてくださいね。書いたら前に持ってくること。終わった人から漢ドp20〜進めてください。p 25までが宿題です。 隣の席のR君は枠線をはみ出す勢いの巨大なひらがなで、昨日もらった工場のパンフレットの内容を書き写し始めました。ちなみに漢ドとは漢字ドリルのことです。猫のタマとかミケと
社会人1年目でいろいろ結構しんどかった夜、23時とか。お風呂上がりに急にドライブに誘われた日があった。普通に身体が鉛みたいに重たい日々の真ん中だった。急いで乾かした髪の毛はまだ湿っているところもあった気がするけど、玄関のドアを開けたら空気の粒子がピンと並んで冷たくて、でもその尖った空気を掻き分けた奥に深い色の車が停まっていて、びっくりした。うれしかった。私にはよくわからない細い道とかすぐ曲がる道とかいろいろ通って、いや俺もここどこかまだわかってないとか言いながらなんだかんだ2
田舎の夏の夜は、泣いちゃうくらい涼しい。 家の四方八方でテントを張れるくらい無駄に広かった実家の庭は父親ひとりの手入れが行き届くわけもなく、それぞれの土からそれぞれの生命が好き勝手に生えてきた。 幹の直径が1メートルはあった大きな木。家の屋根よりもはるかに高いその巨大な影の中にビニールベッドを2つ並べて、髭の長いじいちゃんと一緒によく昼寝をした。 裏玄関のビワの木。妹と木登りして洗いもせずにニヒニヒ言いながらビワをたくさん食べた土曜日。口の周りがベタベタですぐ母にバレた
人に言えたものでないが、ふと思い出した昔の知人の名前をGoogleで検索することは私にとって日常茶飯事である。すきだった人も、そうではなかった人も。私の中に0.1秒でも印象的に光った誰かたちは私の脳を今でも少しずつ占拠していて、なんでもないタイミングでふと顔や声が、というか名前が蘇ることがある。今日は、小学校のときのトロンボーンの先輩の名前が蘇った。 私のランドセルはシナモンロールの水色だった。2007年の田舎の1年生に水色のランドセルは私しかいなかった。1人なんか嫌だと周
耳鳴りが止まない。 絶対音感とかを持っていたらこれがなんの音階なのかわかるのかな。相対音感的には全く綺麗な音ではない。邪魔。 大して日常生活に支障をきたしてはいないと思ったいたけど、先日職場で左側から話しかけられたときに何も聞き取れなかった。 怖い。検査をするのも薬を飲むのも、それって私が私の異常を認める行為だから怖い。一歩踏みだすのって怖い。 鳴り止んでくれ耳鳴り。暴れ回りすぎ。1人になるとずっと。
私の左耳はいま、低い音を捉え切れていないらしい。 急性の感音難聴、よくある病気らしいけど聞こえ方が普段とちがう。たまに反響するのと、音が中にこもることもある。捕まえた音が耳の中から出てこない日が続く。左耳だけ水の中。左耳だけ1キロ先。左耳だけ宇宙、地獄、砂の中。 もっと早く来いと耳鼻科のおじいちゃんに少し怒られた。肩こりも原因のひとつなんだと言われてその日はマッサージにも行った。せっかく欠勤したのだから時間いっぱいに意味のあることをしたかった。 処方された薬は粉薬と錠剤
私は針が怖かった。 小学生のとき、名札の安全ピンで指の薄皮を貫通させて、どうだ痛くねえんだぞこんなことしてもと騒いでいるあほな男子の行動を私は微塵も理解できなかった。そのまま指のお肉の部分に刺さっちゃったら痛いんだぞ!と声を上げたかったけれど、何かのはずみに本当に刺さっちゃったら自分は傷害罪で死刑になってしまうのではないかと思ってあえて黙っていた。 実家の階段の踊り場でニヤニヤしているサボテンの置物には、立派な棘がさも偉そうについており、階段を登り降りするたびに私はそいつ
祖父母の体を駆け巡る旅行好きの血は意気揚々と母をスキップし、容赦無く孫の私に引き継がれた。インドアな両親に育てられ、休日は自分の部屋にこもってタスクを完了したい私であるが、旅行は別物である。 特段、1人で行く旅を愛している。 というか、最近愛し始めたところなのでどうかアイツはにわか旅行好きだと指差して笑ってください。 まだまだ私は、その魅力を知り始めた段階に他ならない。 文法なら知っているが喋れはしない典型的な日本人である。英語の話だ。 中学生になったとき、知っている人が
どこの国でも同じような雷が轟くのだと知った。 深夜便に乗るためにノイバイ国際空港へ向かうタクシーの中で何の気なしに景色を眺めていると、周りを走るバイクの運転手が急に減速して停止し、ゴミ袋のような雨がっぱを着始めた。 ベトナム語の天気予報など何を言っているわからないので知らなかったが、今夜は雨予報だったのだろうか。この世の終わりみたいな大きな雨粒とひび割れみたいな雷が、ざんざんぼこぼこと落ち始めた。異国の地の下り坂はなんとも恐ろしい。 後部座席から眺める、見慣れない左ハン
ぐわあと天井を見上げると、わたしのだいぶ伸びたポニーテールがさわさわとうなじを走るようになった。髪が伸びて、世界はすっかり夏になった。 私の22個目の夏は、すでにドクンドクンと光り始めている。学生最後の夏だなんて考えるから辛気臭くなってしまうのだとわかってはいるが、どうしても、終わってもいないことに対して名残惜しくなってしまう。それほどに、まさに今から生まれようとしている数々の思い出は美しいに違いないと確信している。 昨日、ビアガーデンに行った。どすんと居座るビールサーバ
レシピに忠実であろうとする彼がとても可愛い。鮭とほうれん草のクリームパスタを作ろうとして、レシピにあった「鮭200g」にできるだけ近づけるために、スーパーの鮮魚コーナーでお魚のパックとにらめっこする。189g……まあいいか、許してやろう。と、そんな調子なのだ。 大さじ小さじや計量カップなどなど、これまで目分量で生きてきた私が必要としなかったものたちを購入したのはもちろんここ数ヶ月のお話。彼の言う通りにしてきちんと量るようになると、なんと、お料理がとても楽しくなった。理由
ホワイトデーの贈り物が届いた。 憂鬱なことがあった今朝、LINEに促されて玄関の外を覗くと置き配の段ボールがポツンと。花粉にも打ち勝てそうなくらいの元気が空から降ってきた。春のはじまり。 ガサガサと箱を開けると私の大好物が入っていて、脳内にウルフルズのバンザイが流れた。君を好きでよかった!死ぬまでハッピー! 大袈裟じゃないよ、本当にそう思ったもん。 手元の日記帳に書けばいいような内容をここに書いちゃった。でもなんだか少し自慢したい気分だったのです。おしまい
お洒落なイタリアンで運ばれてきたいつかのボロネーゼ。 ひとくち食べて何に驚いたのか、猫は うまぁ! と叫んでいて お店に広がるギンガムチェックの内装がくすくすと笑ってる気がした。 初めて食べたの? あーあ、かわいかった。 いつかの休日を思い出していた今日の昼下がり。 やらねばならないことばかりなのにふと文章を書きたくなった。 そういえば、しばらく書いていなかった。 これといってデトックスしたい案件もないけど、なぜか今は、言葉に下して解放されたい気分。 猫、最
神保町の信号は背が低い。 ポツンと佇む頭上の青信号が目に滲む。 ブルーライトカットのメガネ越しに ぼんやりと光が霞んで 世界がすっかり夕方を跨いだことに気づく。 そんな青が赤になるまでの時間を眺めて 今この信号が落ちてきたら私、 どんな死に方するんだろうと考える。 考えていたら、耳の中のイヤホンが ヘッドトラッキングの邪魔をするな と言わんばかりに 下から下からYUKIを奏でる。 家にはない大きなデスクトップの前で 誰かが考えた情報や 誰かが綴った文字をなぞりながら、
ゼミで認知言語学を理解するために俳句や短歌を引用したくて、初めて母の句集を読んだ。 よく喋るしビジネススマイルが得意だけれど実のところは内向的な母が、あの大きな目で何を見つめていたのか、考えていのか。私は何にも知らなかったんだな。 本人はひねりにひねった技巧的かつ詩的で情緒に富んだ、時にはブラックな作品を詠むのが好きらしいが、この句集に印刷される句はほとんどが写実的なもの。純粋に切り取られた母の視界を、スンと文字に落とし込んだ句が並ぶ。そこに描かれるのは、田舎と家族のこと
だめになっちゃうソファが欲しくなって、吉祥寺に行った。 道路脇に転がる空き缶の山を横目に、渋谷的な危うさを感じつつ 吉祥寺をくるくると回る。 お店でソファを見つけては ボフッと座って心地を確かめるのが楽しくて ボフボフした、いろんなソファに。 お気に入りを見つけて なんと、電車に乗せてそのまま持って帰った。 きっと半端ない重量感だったのに えっさほいさと運んでくれた人がいて、その人は、 顔が少し猫に似てる。 顔以外も所々猫っぽい。 猫舌だし猫背気味だし