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自分が目指す(変わりたい)姿
「どう変わりたいのか」を考えてみた。「何を変えたいのか」によってはただ逃げているだけで、現実逃避と問われても致し方がないから。そんな発言に対して反論する為に。理屈の通った考えであっても「言う奴は言う」ので考え始めたらきりがないけれど。今更劇的に人生が変わるはずもないことはわかっている。それでも「何か」を変えたいと思った自分の本音に向き合いたいと思う。
「変化のない人生は幸せだったと思う」こともあるのかもしれない。けれど、それがその人にとって本当に有意義なものであった場合に限ると思う。それはその人の考え方・受け取り方次第ではあるけれど。そう、だから今自分が考えていることも考え方・受け取り方を変えてみれば、何も変える必要はないのかもしれない。でも、私は「それでいいとは思えない」のだ。「向上心の持つことのできない日々、閉塞感しかない現実、やりたいことをやりたいようにできない生活」が延々と続き、そんな状態でも「変化のない人生は幸せ」であるとは思えないし、これまでそうしたことが続いてきたということは、これから先も続きていくだろう。「それもまた人生だ」と言われれば「それもまた人生だと思う」けれど、これから先もこんな状態が続いていくことには我慢しきれなくなってきた。たとえ「それもまた人生であったとしても」
環境を変えたとてこんな状態が代わる保証はないことはわかっている。むしろ、これから先も続いていくことになるかもしれないし、もっと酷くなるかもしれない。それもわかっている。だから、そんな現実にも向き合い続けていかなければならないと思う。「人生を続けていくためには」変化し続けていかなければならないと思う。だから、「変わりたいと思った」のだ。「変わる余地も保証もない人生かもしれないけれど、一石を投じて、少しでも何かを変えたい」と。それに向けた行動には満足のいく結果がなかなか出ていないけれど。その想いだけは持ち続けている。
自分自身の考え方・受け取り方を変えていくことだけで十分なのかもしれない。そんなこともわかっている。それを少しずつ実践してきたことで「自分の中にあるもの」は明確に変わってきていると思う。でもなんだろうこのモヤモヤしたものは、悶々とした日々は。これを解消するにはどうすればいいのだろうか。「環境を変えること」が最も必要なことではないのかと思う。閉塞感しかないのだから、これまでとは違ったことをしていくべきだろう。今のままでは何もかもが宙ぶらりんな状態で、そうその宙ぶらりんな状態が、モヤモヤしたものと悶々とした日々を生み出しているのだから。
自分の意思に基づいて行動していくこと。自分の意思に基づいて行動し責任を負っていくこと。行動と責任を自分自身で背負っていく為に多くのことを学び新しいことに目を向けていくこと。その狭間で「自分自身がやりたこと」を少しでも実現していくこと、取り組んでいくこと。
自分自身をそんな人間に変えていくこと。自分自身をそんな人間に変えたいという想い。
「何を変えたいのか」に対する自分なりのアンサー。