働き方、生き方
「自分なりに前に進もうとすると」何かしらの問題が起きる。「巻き込まれるか、自分の身に起こるか」ストレス解消が下手糞だから、それが心身に現れてきた。「第三者」に頼るべき時期。「そんな現実に逃げずに向き合え」
「面倒くさい」から要領を得ないことを言われても黙ってやってきてしまった。要領の得ないことをかみ砕いてまとめて「これでいいのか」と聞くようなことをしてしまった。これが当たり前のことだとする人の考え方は理解ができない。こんなことをしてしまえば、そりゃ何から何まで「丸投げ」してくるようになる。人間なんてそんなものだと思う。
「無理なものは無理だ」と言ってこなかったこと。それが負担だけ増える結果となった。けれど、どうしても我慢できなかったことに対して「これ以上の負担を負わないように」きつめに言ったことがあったけれど、相当揉めた。多分、反論?されるとは思わなかったのだろう。
その中で話とは全く関係ない気分を害する言葉を投げかけられて、話をするのを止めた。結局、また「なんとなく」負担が増えることになったけれど、多少は配慮されることにはなった…らしい。私は実感できないけれど。
相手がそんな反応をとったことはわからなくもない。相手にとっても「これ以上の負担を負わないように」という思いや、「どうしていいのかわからない」から不安で不安で堪らなかったのだろうから。
けれど、それを年齢や立場の上の人間か一歩的にやられるのは、しんどさしかない。
根本にあるのは「構造的」な問題。それが全てなんだと思うけれど、それすらも私の責任だと責められているようでいて、心労は募るばかり。そもそも、私が「新しい場所」に入る以前のことまで知っているはずがないのに、それを求められるのは「なんか、ちがくなーい?」
そう、それでもそれをちゃんと正してこなかったことがダメだったのだと思う。全く正してこなかったわけではないのだけれど、相手が「どうしていいのかわからない」ことに対して「違いますよー」「わかりませんよー」と言ったところで、届くわけがない。そんなもんだと思います。人間の本質は。
それでもその努力が足りなかったことは明白。それだけは認めて反省しなければならない。けれど…とその後に続けてしまうような人間だから、相手からそんな反応を引き出してしまうのかもしれないけれど、「答えのない答え」の為に神経すり減らすのは…限界があると思います。
「気遣い」は必要なこと。「気遣い」がなければ仕事ができない一面もあるのが現実であり社会ってやつではあるけれど、「構造的」な問題や「不安な感情を押し隠している」目上の人を相手にそれを続けることほど、しんどいものはない。
そんな人に限って「信用していますから」「あなたにしかできないことですから」「任せていますから」と言う。いいよ、ちゃんとフォローをしているのなら。「任せる」と「丸投げ」は違うことがわからないのかなあ…と突然愚痴をちょっと吐いてみました。
時を戻そう。
こうしたことを理由にして自分の人生が思うように進んでいかないというのが「言い訳」だと言われることはわかっている。それはそれであって、切り分けて考えればいいだけのことだということも。けれど、そんなに切り替えがうまくできますかね、人間って。
その考えが「逃げ」なんだろう。逃げちゃダメなのか。逃げたっていいじゃないか。こんな状態が続いていれば、切り替えができずに休みの日もそのことで頭がいっぱいな人って…年の功でようやくそんな時も少なくなってきたけれど、若いころじゃ無理な人もいるもんだよ……
時を戻せるものなら戻したいけれど、時は戻せない。後悔は少しでも解消できるけれど、なくすことができない。少しでも建設的になって前を向いて切り替えて「自分の為になること」に注視した方がいい。そんな矢先に…と冒頭に戻る。
現実に向き合わず逃げ続けた結果なんだろうか。現実に向き合い続けてきたからなんとか生きながらえてきたことの代償なんだろうか。「第三者」に頼りつつも、「自分のやれることを積み重ねて」なんとか「新しい道」を切り開き「新しい場所」を見つけるようにしたい。
…後厄まで無事に過ごせたことの代償でもあるのかな……
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